G14

Open App

『無垢』

「見ろよ、生まれるぞ」
 目の前の卵が小さく揺れ始める。
 その揺れは次第に大きくなり、やがて殻にヒビが出来始め、殻が少しずつ剥がれていく。
 そしてその中から、うろこに覆われたトカゲの体を持ち、背中には小さな翼が生えた生物が出てくる。
 ドラゴン――の子供である。

「おおー、ちっちゃい! 可愛い!」
 ドラゴンの誕生を、俺の隣で見ていたクレアが感嘆の声を上げる。
 普段の聖人じみた態度から想像も出来ないほどはしゃいでいでいるクレアを灰めてみた。
 世間から聖女として崇められる彼女だが、人間らしい部分もあるという事か。
 少しだけ人間らしいところを見れて、安堵する。

「見てください、バン様。
 この可愛らしい瞳、小さい手、
 くう、可愛すぎます」
 クレアが、目のまえの子供のドラゴンを前にして、子供のような笑顔を見せる。
 この小さなドラゴンの目では、クレアは
 正直、ここまでテンションが高くなるとは少しだけ嬉しくもあり、そして少しだけ腹が立つ。
 このドラゴンの卵、実は俺がダンジョンの奥で拾ったもので、そしてクレアはそのことに最後まで反対していた。
 拾ってから毎日小言を言われる日々。
 なのにこの有様はどうだ?
「あ、歩きましたよ。 すごい、えらい」
 ここまで掌返し、そうそう見れるものではない。 

「チビ太、こっちですよ」
「え?」
「名前ですよ。
 ほら、チビ太。
 あなたの名前はチビ太ですよ」
「……違う名前にしよう」
「なぜですか!」
 クレアがすごい剣幕で迫ってくる。
 なんでここまで入れ込んでるんだ。
 お前、さっきまで興味なさそうにしてただろ?

「こいつはドラゴンだ。 すぐに大きくなるからチビ太は駄目だろ」
「あ、確かに……
 いい名前だと思ったのですが……」
「てことで俺が名前を考えているから――」
「龍太、こっちにいらっしゃい」
 俺の言葉にかぶせるように、クレアが次なる命名案を出してくる。

「ほら、龍太、龍太、龍太」
 あいつ、なんども繰り返して刷り込もうとしてやがる。
 どうしても自分で名前を付けたいらしい。

 まあいいさ。
 名前はそこまで重要じゃない。
 命名権はくれてやる。

 だが、教育方針は俺が決める。
 俺はこいつをトレーニングさせる。
 そして世界一強いドラゴンに育てるのだ。

 今、冒険者たちの仲で、ひそかに広がっているドラゴンバトルというものがある。
 育てたドラゴンを互いに戦わせ、優劣を決める熱いスポーツ。
 俺たちはそこで王になる。

 そして勝つためには、幼いころからのトレーニングが欠かせない。
 幸いにしてこのドラゴンは健康状態が良い。
 この調子ならば、今日からでもトレーニングを……

 ドラゴン、もとい龍太を見ていると、視界の端でクレアが俺の顔を覗き込んでいることに気づく。
「どうした?」
「どうしたではありません」
 クレアは龍太を、俺の視線から庇うように移動する。

「なにか、邪なことを考えていませんか?」
「邪な事?
 馬鹿を言え」
「では何を考えていたか、言葉に出来ますか」
 クレアが俺の目をまっすぐ見る。
 俺が嘘をつこうものなら、糾弾するつもりなのだろう。
 だが俺は嘘をつくつもりはない。
 邪なことなど一切ないからだ。

「そいつに戦いを教えて――」
「天罰!」
「ぐは!」
 クレアがすぐ側にあった分厚い本で俺を殴る。
 クレアのバカ力と本の重量の相乗効果によって、俺に少なくないダメージが入る。
 つまりめっちゃ痛い。

「いって、何も本気で殴ることは無いだろうが」
「いいえ、こんなかわいい龍太を、悪い道に引き込もうとする人は天罰が下って当然です」
「どこが悪い道だ。
 ドラゴンは戦ってなんぼだろうが!
 逆に、他の道があるのか?」
 俺は痛む頭をさすりながら、クレアを睨む。

「この子には戦いに無縁の生を送ってもらいます。
 平穏に暮らして、家族を作り、やがて私に孫の顔を見せてもらうのです」
「さすがに人間と一緒にするな
 ドラゴンは闘争本能が強いから、戦わないと逆にストレスになる」
「詳しいですね」
「当たり前だ。
 ドラゴンバトルのために、色々調べたからな」
「ドラゴンバトル……
 そういえば、そんなことも言ってましたね」
 そう言うと、クレアは目をつむる
 クレアが何か考えるときの癖だ。
 しばらくのあと、結論が出たのかゆっくりと目を開ける。

「あなたの言い分は分かりました。
 闘争本能を発散させるのが、この子のためになるならそうしましょう。
 ですが――」
 クレアは目を大きく見開く。

「ドラゴンバトルとやらには、絶対に参加させません!
 龍太は、私と一緒に愛と平和を世界に伝えるのです」
「ドラゴンが仰せつかるような使命じゃないだろ
 与えるのは恐怖だ」
「なんてこと言うんですか!
 こんなに可愛いのに!」
「いやいやいや、今の時点で人殺せるくらいには強いからな」

 生後一日でも、なんの訓練も受けていない一般人が手も足も出ないほど強い。
 そんな危険生物の前で言い争いが出来るのは、俺たちがレベルの高い冒険者だからであり、いざとなれば抑え込む自信があるからだ。
 決して、普通の人と俺たちを同列にしてはいけない。
 
「だからこいつは戦いに身に置いた方が幸せ――」
「させません!」
 二度目の分厚い本によるチョップが繰り出される。
 そのチョップは、一回目と同じ軌道を描き、そして同じ場所に命中する。

「やめろ、とりあえず暴力に訴えるな。
 お前聖女だろうが!」
「我が子のためなら悪魔にもなります」
「手に負えねえ」

 コイツは駄目だ。
 普通の説得では聞き入れまい。
 それにこれ以上は俺の体が持たん。
 次やられたら、病院送りだ。

「分かった、こうしよう。
 龍太のことは龍太でに決めさせる」
「いいでしょう」
 クレアは少し離れたところに龍太を置く。

「よし、龍太。俺のほうに来い。
 世界一強いドラゴンを目指そう」
「龍太、こっちですよ。
 あなたも平和に過ごせるほうがいいですよね」

 龍太は不思議そうに、俺たちを見比べる。
 正直どこまで理解しているか分からない。
 だがあのまま言い合っても俺が負けるだけ。
 しかしこういう勝負ならば、俺でも半々で勝てる。
 こい龍太。
 一緒に世界を目指そう。

 俺の想いが通じたのか、龍太は俺の方を見る。
 やったか?
 だが見たのは一瞬だけだった。
 非情なことに龍太はクレアに向かい、クレアの足にじゃれつく。
 やはり母性か……

「これ決まりましたね」
 クレアは勝ち誇った顔で俺を見る。
「龍太、私はあなたの事を信じていましたよ」
 クレアは、龍太を抱き上げる。
「愛と平和を世界に伝えましょうね」
 無理だと思うけどなあ。

 だけど勝負に負けた以上、俺に口出しする権利は無い。
 とはいえ、ストレス発散のバトルは許可が下りている。
 その間だけ、ドラゴントレーナーの気分を味わおう。
 それくらいは許してくれるはずだ。

「ほら、高い高い」
 俺が打ちひしがれている間も、クレアは龍太と遊んでいた。
 眩しくてほほえましい光景。
 こういうのもいいな、と柄にもなく思う。
 これが子を持つって事か……

 それに気づくと無性に龍太と遊びたくなってきた。
 とりあえず高い高いしたい。
 後で変わってもらおう。

 俺の夢は破れたが、こういうのも楽しいだろう。
 意外とイクメンパパ路線も悪くなさそうだ。

6/1/2024, 5:12:04 PM