ひらりと舞い落ちる桜の花びらに、どんな想いを乗せるだろう。
桜の花は、ひとときの間、美しく咲き誇る。そして、桜の花は、花びらとして散っていく。
このひとときは、人間の“生きる時間”と比べると、瞬きをするくらい一瞬なのかもしれない。
ファンタジーの物語に登場するエルフは、不老であり、死ななければこの世が終わるときまで生きることができるという。
エルフと人間の“生きる時間”を比べたときに、人間の”生きる時間“は、人間と桜の花を比較したときの桜のように、一瞬なのかもしれない。
しかし、エルフであっても、生まれてすぐに死んでしまうことがあるとどうだろう。エルフは桜の花よりも“生きる時間”短い場合もあるのかもしれない。
人生百年時代を念頭に、自分も百歳くらいまで生きるだろうから、最期まで幸せに暮らせるように、人生設計や老後について考えることがある。
しかし、あくまで平均寿命が伸びているだけであって、自分が長生きできる保証は一つもない。
どれだけ準備をしていても、その準備が報われる前にこの世から旅立ってしまうかもしれない。
人生設計や老後について考えることは、自分の人生なかで自分の目的を果たすために重要である。しかし、最も重要なのは、”今できることに集中すること”だと思う。
“生きる時間”はいつ電池が切れて止まるかわからない時計のようなもので、実際に今この瞬間も動いてはいるが、あと1分後も絶対に動いているとは言い切れない。
桜の花びらが舞い落ちるとき、間違いなく儚い思いがするが、それ以上に美しいため、目が桜の花びらに釘づけになる。
桜は花を咲かせてから散るまでの期間は、ほんの何日間しかない。満開になる期間は、さらに短い。
この桜の花として“生きる時間“は、人間からみると決して長いとは言えない。しかし、桜は、たとえ短い時間であっても”生きる時間“に集中して”生きている“と思うのだ。
ひらりと舞い落ちる桜の花びらに、”今生きている喜び”を乗せよう。
一つも悔いがないように生きることは難しいし、今の状況を悲観的に捉えることをやめられないときもあるだろう。
しかし、今この瞬間に死んでしまうかもしれないという一見絶望的な状況は、後悔や悲観という感情を通り越して、”今生きている喜び”を噛み締めるために重要な、希望のような状況でもあるのかもしれない。
_____ひらり___________________________________。
3/3/2025, 3:08:52 PM