nada

Open App

 光を全く跳ね返さないということだ。無色。つまり透明かと思うけれど、透明なものをそう認識できるのは、透けて見える向こう側があるからで、無色な世界、世界が丸ごと透明なら、視覚で透明さを認識することができるだろうか。視覚以外で透明さを認識することは?そこに無色の世界があるとどう気づくのか。触れればあるのはわかるだろう。しかし、そこにあるなにもかもが無色である。透明。どんな光も跳ね返さない。するとそれは“無色“だと名指す対象にならないのではないか。そこにあるなにもかもが透明なら、透明であることが常態であり、マジョリティであり、つまり、透明化される。透明化されたものは名指されない。特に世界と同化するよう透明化されたものは、ただ”多数“あるいは”権力“として、その場を支配し得る。名指されない、有徴化されないことを、透明化と言ったりする。つまり、あなたが、わたしが、ある部分を特徴として際立たせられカテゴライズされて、いない、場所は、無色の世界かもしれない。あなたが、わたしが、マジョリティでいる場所、自らの存在を訴えずとも、常に”いるもの“としてあつかわれる場所。常にいることを想定されているから、いるのだと声にしなくてもいい場所。いないとされたものたちの訴えを、まずはうるさいと思う暴力を何度でも何度でも気軽にふるえてしまうところ。
ところで、色づいた世界で“いないもの”としてあつかわれることもまた、透明化と言う。

4/19/2024, 12:54:46 AM