大きな大会の決勝戦。
ウォームアップウェアのファスナーを下ろした彼女の肩のラインが確かになる。
少し短めの袖丈のユニフォームが、体育館の空気に触れた。
その瞬間、彼女の中で俺の存在はかき消される。
剥き出しの闘争心を孕んだ瑠璃色の瞳は、いつにも増して強くきらめいていた。
薄い唇が傲慢に弧を描く。
キツく結ばれた小さなポニーテールは自信に満ち満ちていた。
緊迫した空気のなか、体育館に主審の淡々としたコールが響き渡る。
シャトルの乾いた音が静かに放たれた瞬間、彼女の乱舞が始まった。
着々と進んだ決勝戦は彼女の惜敗。
落胆した空気のなか、大会の幕が下りた。
ユニフォームの短い袖口で、彼女は静かに汗を拭う。
コート半分の温度差に彼女はなにを思ったのか。
ユニフォームの上からウェアを羽織り、照明と自身の汗で照らされていた白い腕が隠される。
まだ引かない熱を瞳に宿したまま、彼女は感情を表に出さずに体育館を去った。
*
数日後。
大会やその他諸々の予定をこなし終えた彼女が帰宅した。
玄関先にカバンを置き、ウェアを脱いでいく。
中に着ていた使い古され襟ぐりがたわんだ黒い半袖シャツは、袖口もよれていた。
「……次は勝つから」
開口一番のその力強い言葉に、うなずくほかない。
「はい。期待しています」
「これ、捨てといて」
黒いシャツを恥ずかしげもなくたくし上げたあと、小さく丸めて俺に手渡す。
彼女は遠征に向かうとき、試合に負けるまで同じシャツを着続けていた。
ルーティンを明確にしない彼女の数少ないゲン担ぎのひとつである。
「わかりました」
背中側の裾も糸がほつれかかっていたため、ちょうどいい機会となりそうだ。
「捨てる前に嗅いでいいですか」
「今日は負けたからダメ」
……負けないと捨ててくれないくせに。
こんなにヨレヨレボロボロになった彼女のシャツを、なにもせずに捨てろというのか。
なんて、冗談を言う雰囲気でもないため必死に我慢した。
「お風呂してくる」
「すぐ入れます、けど。その前に言うことがあるでしょう?」
青銀の柔らかな横髪に触れると、彼女は目を見開いた。
数秒、言葉なく見つめ合ったあと、ふわっと穏やかな光を宿す。
「……ただいま……」
「おかえりなさい。お疲れさまでした」
緩く結ばれたポニーテールを、丁寧に解きながら尋ねる。
「抱きしめても?」
「負けたからヤダ」
は?
彼女のいない生活を2週間も耐えたのに?
「今、慰められると負け犬になっちゃう」
そんなおかしな理屈があってたまるか。
敗者を労うことのなにが悪い。
言い返したいが、彼女は俺の口を挟む隙間も与えずに言葉を続けた。
「負けた私をシャワーで洗い流してリセットしてくるから、ちょっと待ってて」
「待ったらいいんですか?」
改めて聞かれて急に照れくさくなったのか、彼女の頬がポポポッと赤く染まっていく。
「…………う、ん……」
少しずつスイッチが切れていく彼女を目の当たりにして、ゴキュ、と喉が鳴った。
どうしよう。
ハグとキスだけで止まれる気がしない。
「あ、あと、明日、新しいシャツ買いに行くから。そのつもりでいてくれるとうれしい」
「!」
顔にでも出ていたのか、取り繕うように彼女は会話を逸らした。
だが、今度は俺のほうが取り乱す。
「かわいいの、買いましょうね!? ショッピングモールハシゴしましょう!!」
「はあっ!?」
「いつものシックでシンプルなデザインもとてもよく似合っていますけど、たまにはピンクでヒラヒラしたヤツとかどうですか?」
「どうですか? じゃねえよ。Tシャツ買いに行くだけだってば!」
そうと決まれば、彼女には早く風呂に行ってもらわないと。
おかえりなさいのギューとチューもまだなのだ。
彼女の背後に回り込んで、細い肩をがっしりと掴む。
「ふふ。楽しみですね?」
「ちょ、ちょおっ!? 聞けって!?」
そのままぐいぐいと彼女を押して、脱衣所につめ込んだのだった。
『半袖』
7/26/2025, 4:38:10 AM