sairo

Open App

結《ゆい》が教えてくれた家は、村から離れるようにしてひっそりと建っていた。

「やっぱり出ないね」

分かっていた事だけど、と楓《かえで》は小さく呟いた。
呼び鈴を鳴らせど、声をかけれど、中からの反応はない。
燈里《あかり》が前回取材に訪れた時も同じであった。この村の人々は、梅雨の時期に外へ出る事は滅多にない。運良く農作業に出ていた人に話を聞いた所、やはりあの花婿・花嫁葬列が理由のようだ。
薄々分かっていた事だけに落胆は然程ではないものの、他に行く当てもない。どうするべきかを悩む燈里の横で冬玄《かずとら》は涼しい顔をして扉に手を掛ける。そして躊躇いもなく玄関扉を開けた。

「ちょっと、冬玄!?」
「申し訳ないが、時間がないんでね。邪魔するよ」

無遠慮に家の中へと足を踏み入れる。突然事に呆然とする燈里の手を引いて、楓もそれに続いた。

「――なんだ。人の家にずかずかと……っ」

奥から出てきた初老の男性が、険しい顔をして家に入り込んで来た三人を睨みつける。だがその視線が燈里に向けられた瞬間、明らかに動揺した様子で息を呑んだ。

「結。お前……どうして」
「突然の訪問、申し訳ありません。私は結さんではなく、宮代《みやしろ》燈里と申します。結さんより、祝縁寺の管理をなされている方がこちらにいらっしゃると聞き、お邪魔させて頂きました」
「結、が?」

呆然と呟いて、男は緩々と首を振る。深く息を吐いてから改めて燈里に視線を向け、そして目を伏せた。

「入れ」

呟いて、部屋の奥へと男は戻っていく。

「結さんと、何かあったのかな?」
「何かあったとしても、それは二人の間での事で僕達が関わるべき事じゃない。それに今はあの花婿を何とかする方が先だよ」

男が燈里を結と見間違えた時、その目に浮かんだのは恐怖や悲痛の類いのように見えた。
気にはなるものの、楓の言う事は正しい。何も知らない部外者が口を出すべき事ではないだろう。
これ以上立ち止まっている訳にもいかず、燈里達も男の後を追って家の中へと入っていった。





「聞きたいのは、遠見《とおみ》の野辺送りの事だろう?」
「遠見?」
「なんだ。結から何も聞かされていないのか」

部屋に入り、促されるまま座った直後に男に言われた知らない名に、燈里は困惑する。
野辺送りとは葬儀の後、死者を火葬場や埋葬場所まで運ぶ事だ。おそらくは水たまりの向こう側で見た、あの葬列の事だろう。
だとすれば、遠見とは花婿の事か。俯く黒紋付羽織袴を来た花婿を思い出し、楓や冬玄の目が鋭さを増した。

「仏堂には行ったか?」
「あ、はい。その……無断で入り込んでしまい、すみません」

急いていたとは言え、燈里達がした事は立派な不法侵入だ。頭を下げる燈里に、男はぶっきら棒に構わんとだけ告げて、手元の湯飲みを呷る。はぁ、と息を吐いて湯飲みを置き、燈里を見据えた。

「あそこの中に、女の方が黒塗りされた絵があっただろう?あれが遠見だ」
「あれは……あの絵図は、どうして」
「あんたはあの絵について、どこまで知っている」

男に問われて、燈里は静かに答えた。
祝言絵図。幽婚。死者と架空の相手を描く、その意味を。
燈里の言葉を聞いて、男はまた深く息を吐いた。疲れたように、そして深い悲しみを吐き出すように。

「それなら禁忌についても当然知っているな。相手は必ず架空の人物で、決して生者を描いてはいけない……例え誓い合う相手がいたとしてもだ。描いてしまえば、そいつは死者に連れていかれてしまう」

楓の言葉を思い出す。
残された者、生者である婚約者には許せない事。将来を誓い合ったはずの相手が、例え架空の人物であれ違う誰かと結ばされる。
想像して、燈里は息苦しさに目を伏せた。

「以前はあれと似たようなものがいくつかあった。残された相手にとっちゃあ、業腹もんなんだろうな。だが、そうなるといつまでも祖霊として祀られん……どういう経緯で見たのかは知らんが、あんたが見ただろう野辺送りは、無縁仏化した遠見がイワイを求めて現れたものだ」
「イワイ……結さんも言っていました。イワイと契らされるって」

結だけでなく、黒い傘を差した男も言っていた事を思い出す。しかし二人は遠見がイワイであるかのように語っていた。男の話とはどこか違う。
男も気づいたのだろう。頭を掻きながら、あぁと苦笑し、視線を窓の外へと向けた。

「そりゃあ、表向きの祝《イワイ》だな。祝われる者。祝福される者と契るって意味だ……俺が言いてぇのは、本来の斎《イワイ》だ。斎《ものいみ》って字を書く」
「もしかして斎人《いわいびと》の……それじゃあ、遠見さんは祀って貰いたくてああして彷徨っているって事ですか?」

斎人。本来神を祀る人を差す言葉だ。
燈里の辿り着いた答えを肯定するように、男は視線を窓に向けたまま頷く。

「花婿・花嫁葬列だったか。例の噂が広まるうちに、あんな風に相手を消された絵はなくなっちまったよ。興味本位で夜中に寺に忍び込んだ馬鹿共が一人が消える度に、一枚消える。どこにいったのか、誰にも分からん……収められた中では、あれが最後の一枚だ。あんたはその最後の一枚に、イワイとして選ばれたんだろう」

それに、と何かを言いかけて男は口を噤む。眉を寄せ、それ以上語る事を拒むように首を振った。

「ならば、その遠見って男とその相手を描いてやればいいだろう?ああして彷徨い歩くよりは、誓った相手と契る方が、どちらにとっても本望だろうよ」

静かに話を聞いていた冬玄が、冷たく吐き捨てる。燈里が咎めるように視線を向けるが、気にする様子はない。
男は何も言わず、冬玄へと視線を向けた。苦悩を色濃く乗せながら、薄く笑う。

「何がそんなに気に入らんのかね。死者のためと言いながら、そこまで意固地になる事はないだろうに」
「元より、認められてはいねぇんだ。気の強い女はどうしても忌避されやすい」

その笑みが意味する事を理解して、冬玄は嫌そうに顔を顰めた。
確かに架空の花嫁を塗り潰す程の気性の激しい女よりは、架空であれ婚家に従順な女の方が喜ばれるのだろう。だがそれを求めるあまり、長くを祀らぬままであるのならば意味はないであろうに。
そう呆れる冬玄に、燈里は耐えきれずに声を上げた。

「冬玄。生者を描くのは禁忌だって言ったでしょう?そんな簡単に」
「あんた、本当に何も聞かされてないんだな」

しかし憤る燈里を、男の静かな声が止める。呆れたような、哀れむような声音に、燈里は戸惑いながら男に視線を向けた。

「それは、どういう……」
「どうしてこう、世界ってのは儘ならんのかね。僅かでも救いがあれば、あんたもここに来る事はなかっただろうに」

誰にでもなく男は呟き、立ち上がる。
少し待ってろと言い残し、男は奥の部屋へと入ると、ややあって何かを手にして戻ってきた。
ちゃぶ台に置かれたそれは、一枚の祝言絵図のようであった。だが花婿の絵は元が何であるか察せられぬ程に歪み、花嫁はきつくこちらを睨み付けている。

「生前の遠見が契ろうとした相手はもう死んじまってるよ。あの仏堂には奥の間があるんだが、そこで死んだ。花嫁を塗り潰した、そのすぐ後に」

花嫁の姿と書かれた名から目を逸らせないでいる燈里を哀れむように、男は静かに微笑み。

「そういや、まだ名乗ってなかったな。俺は齋《いつき》承一《しょういち》。五十年前に死んだこの花嫁――結の、兄だ」

そう言って、男――承一は、可哀想にと呟いた。



20250609 『どうしてこの世界は』

6/10/2025, 11:17:21 AM