はた織

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 ベルベットの向こうに誰かいる。黒一色の布だ。縦糸と横糸が一本一本とはっきりと目に見えて、細やかな正方形の群れから光が溢れている。向こうが透き通って見えるはずだが、布張り越しにいる相手の姿はよく見えない。
 本当に誰だろうと私は布を手でそっと持ち上げた。相手の身体が見えた。男にも女にもそれ以外の人間にも思える身体つきだ。服は、私が着物だと思えば着物になり、スーツだと思えばスーツになる。そんな気まぐれな思想に付き合える身なりをしている。わずかに覗く手や首の肌は淡く輝き、肌に透ける血管は確かな生命の血潮を浮き上がらせる。
 あと少しで相手の顔が見える寸前に、私は手の動きを止めた。何だか惜しいなと天邪鬼になった。このまま誰だろうと覗き込んでも良いが、今はそんな気分ではない。逆に向こうから覗き込まれたら、急いで布を下ろして何もなかったことにする。
 私は、相手の顔だけ隠して、あちらがどんな表情をしているのか想像していたい。布の向こうの人物は、閃いたトリックをとにかく披露したい手品師かもしれないし、怪談を話したくてうずうずしている語り部かもしれない。思いっきり布を上げてみたら、そこには太陽を頂に冠る金細工の王がいるかもしれない。
 誰であれ、この布の向こうを破るも包むも拡げるも私次第だ。そこのいるのは誰だと、宵闇を思わせる天鵞絨に永遠の謎を縫い込んだ。
               (250302 誰かしら?)

3/2/2025, 1:32:54 PM