【さよならは言わないで】
あの人はいつも急だった。
気づけば、僕の思いもよらないことを持ち込んできて、僕の日常はめちゃくちゃにされた。だけど、それが楽しかったのも本当の気持ちだったんだ。
いつもの空き地に猫を連れてきて「これからみんなで飼うから」なんて言った時も、その猫の飼い主を探すためにみんなを連れ回したり、チケットを持ってきて遊園地に行こうっていきなりにも程があった時も、晴れの日、雪の日、雨の日どんな日だって。
だけどふたつだけ。どうしても許せないことがある。
こんなに年数がたってから顔を合わせたってどうしても普通の顔なんて出来ないくらい酷いことだ。当時は息も尽かせぬ罵倒で殴り倒したっけ。珍しく涙を流していた君の顔が、昔の記憶補正でキラキラと輝いて見えている。
まず1つ。
僕たち......いや僕に何も聞かせずに勝手に遠くに行くことを決めたこと。
いつものように空き地に集まった僕たちの背中が茜色に染まる頃。西日に背を向けて、影で顔が見えない状態で君は言ったっけ。
「あのね、私、遠くの学校に入学することにしたの」
途端、叫換。一瞬後、雷親父の怒鳴り声と蝉の声が響く空き地。そして、誰かが鼻を啜り上げる音とともに地面に黒いシミが広がっていく。君もそんなみんなにつられて涙声だった。
だが。
「ねぇ、君からも声が聞きたいな」
「うるさい」
1人だけ。空気を読まず。
赤く赤く燃え盛るような気持ちに包まれていた。夕日の寂しさに焼かれたのかもしれないし、どこか彼女の1番の存在だと思い込んでいた自分への怒りかもしれなかった。
「う、うるさいってなによ」
「うるさい!!!」
その感情が向き先も分からないまま爆発する。
「僕に何も言わなかったくせにッ!」
誰も喋らない。否、声が出ない。大きな感情に対抗する術を彼らは知らなかった。
......それが2つともなれば尚更。
「私の気持ちも知らないくせに勝手に言わないでよ!!」
瞬間、右頬が熱くなる。そのまま熱は頭まで一気に昇って勝手に右手が動く......が寸前で止まった。今でも僕は自分を軽蔑するし、そして同時にそこだけは評価せざるを得ないと心に留めている。
「そんなんだから」
寸前で止まった僕の手を見て、じわりと涙が湧き上がっていく。僕の判断は正解ではあった。だが、そのあとの対処が一生の間違いだった。
「そんなんだからダメなんだよ......」
弱々しい声。いつも元気な彼女の、聞いた事のない音色。それ以上見ることは出来なかった。
「さよなら」
堪らず背中を向けて家へ向けて歩き出す。奇しくも彼女と同じ方向を見ることにはなった。何も一致しない心の向きとは裏腹に。
「さよならなんて、言わないで」
耳にこびりついた雫は今も反響を続ける。
2つ目のこと。
死んだこと。
次の日の朝刊、車に跳ねられて無くなった女児の名前が目を上滑りしていく。世界が泥濘に包まれているように足取りは現実感がなく、そしてどこまでも沈んでいく。
認識した時にはもう独りで泣くしか道がなかった。泣いて泣きわめいて泣き潰してそれでも泣き足りなくて。
こうして墓参りに来たってこの反響も雫も鳴り止まないんだろう。
だから僕は、墓に向けて告げる。
いつまでもいつまでも彼女が僕を忘れないように、僕が彼女への罪を忘れることがないように。
「さよなら」
永遠に反響を抱えて、恨みでも悲しみでもいいから彼女の魂を独占できるように。
12/4/2024, 8:02:20 AM