sairo

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「ねぇ、いいでしょ?ねぇ、連れて行ってよぉ。ねぇ。ねぇ」

付き纏う声に嘆息する。

気づけば黄昏時。
朱く染まった空を見上げ、付き纏う声の主である犬を見下ろし。
帰り道の先、鳥居の下で踊る影を見て、思わず額に手を当てた。


誰もいない神社の掃除終わり。いつもならば家にいる時間帯。
時間を気にしながらも一通りの掃除を終えて、気づけばすでに辺りは薄暗くなっていた。
やってしまった、と焦り掃除用具を片付けて、帰ろうとした道の先には影がいて。どうしようかと悩んでいれば、このよく分からない犬が声をかけてきて今に至る。

「ボク、いい子だよ。ちゃんとお座りも、待ても出来るんだよ。だからねぇ。一緒に行こうよぉ」
「…飼い主は」

よく見れば、犬の首には白い首輪。飼われている、あるいはいたであろう犬は、首を傾げ鳥居の方へと向けた。
「あそこ」

前足を上げて鳥居の下で踊る影を指す。
遠目からははっきりと見えない影が、足を上げ、腕を伸ばして踊り続けている。ステップは無茶苦茶で激しく、手はゆらゆらと揺れて、手を振っているようにも見えた。
すぐ近くにいるのならばそちらへ行けばいいのに。そう思い横目で見た犬の目は、何故だか冷めているように見えた。

「ずっと足を焼かれて、首を括られて動けなくなっちゃったの。もう駄目だから、大丈夫」

何一つ大丈夫ではない。
目を凝らして影を見る。やはりはっきりとは見えないが、言葉通り、足は焼けた地の熱さから逃れようとして、手は括られた縄を探して藻掻いているようにも見える。

「ずっといい子にしてたんだよ。遊ぶのも、撫でてもらうのも我慢して。ご飯がもらえなくなっても吠えたりなんてしなかった。飼い主が苦しくてつらいのを知ってたから、ちゃんと我慢したの。お外に出て、頭を撫でてもらえて、ご飯ももらえると思って。やっと、食べられるって。なのに。何で。あんな」

影の動きが激しくなる。
首が絞まっているのか、手を首元にやって何かをしきりに引っ張っている。

「どうしてこんな寂しい所に埋めていったの。誰もボクを踏んでくれないから、呪いになれないのに」

つまりはあれだ。
犬神をつくろうとして不完全な呪いが出来上がり、返りの風で術師が死んで呪われた、と。
影を見て、犬を見る。
空を見上げれば、さっきよりも薄暗く夜が近くなってきている。

帰ろう。そう思った。
帰る道の先に影はいるが、何とかなるだろう。

「帰るの。一緒に行っていいよね。ねぇ、連れて行ってくれるよね」
「飼い主のところに行きなさい」

着いてこようとする犬を制す。どんな形であれ飼い主がいるのだから、そちらに行くべきだ。
お座りの体制で首を傾げる犬は、少し考えて飼い主の元へと走り出す。


ぎゃあ、と醜い悲鳴が上がった。


「はい。飼い主持ってきたよ。一緒に連れて行って」

何故こうなる。
飼い主だったであろう影の腕を咥えて引きずりながら戻ってきた犬を見て、何も言えずに口元を引き攣らせる。切実に止めてほしい。直視したくないものを取ってこいした覚えはないというのに。

横目で見下ろす影は、間近で見ても黒かった。

「家には猫がいるから」

だから無理だと、首を振る。
それでも犬は諦めない。

「ボク、いい子にするよ。ちゃんと仲良くする」

無理だろう。どう考えても。
そうは思うが口には出せず。仕方がないとスマホを取り出し、ロック画面を見せた。

ぎゃん、と鳴いて、飛び上がる。

「え。なにこれ。怖い。猫、怖い」
「いいか。よく聞け。我が家の頂点は猫だ。猫が望めば夜中だろうがご飯の時間になるし、仕事をしてようが遊びの時間になる。その日の猫の好みのご飯がなければ、その時点で買いに走らなければならない。家のすべては猫によって決まるんだ。つまりは、猫が捨てろと言ったら捨てなければならない。分かるな?」
「うん。分かっ、た」

悲しげに目を伏せる犬には申し訳ないが、こればかりはどうしようもない。
今度こそ帰ろうとスマホを仕舞い、犬を見ると。
大きな目から一筋涙が零れていた。

泣いていた。犬が。視線を向けなければ分からないくらい静かに。



高級な猫缶を帰りに買おう。そう決めた。

連れ帰る事は決定だが、さてどうしようかと考える。
このままでは周りの目が痛い。非日常が日常な街であっても、さすがに目立ってしまうだろう。
そこらのうねうね動く影とは違う。

取りあえず犬を呼び寄せる。

「ささら」
「え」
「ささら。犬の名前」

呼びかける。名前を認識させる。

「ささら。ボク、ささら」

何度か名を繰り返す。その度に犬の姿が変わる。
肉がつき。皮が張り。毛が生える。

「うん。ボクはささら」

ふさふさした尾を一つ振って、茶色い毛並みの小型犬は綺麗にお座りをした。


よし。と頷く。
思わず使役してしまったが、これで捨てろなどと言われ難くなるだろう。
不完全で未熟な犬神とはいえ、一度契約したモノだ。破棄は簡単には出来ないはず。
だが一応機嫌取りで念のため、またたびも追加で買う事にする。

「ささら。帰りに店で猫缶とまたたびを買わないといけない。急ぐぞ」
「分かった!ゴシュジン、これどうするの」
「明日、近くの社にでも捨てとく」

影は放置だ。街とはいえ、田舎の店は閉まるのが早い。
急がなければと、犬を抱えて走り出す。

空にはもう宵の明星が光り輝いていた。



20240901 『不完全な僕』

9/1/2024, 12:56:20 PM