〈耳を澄ますと〉
五月の光は、思ったより強い。
カーテンを少しだけ開けたままにしていると、午後の日差しがフローリングの上に細長い四角を作っていた。わたしはソファに横になって、その四角がゆっくりと移動していくのを、特に感動もなく眺めていた。
ゴールデンウィークが始まって、もう四日が経つ。
実家に帰るか、と考えたのは最初の一日だけだった。
ニュースではターミナル駅の混雑を流している。乗り換えと人の多さを想像した瞬間、気力が萎んでそのままベッドに倒れ込んだ。
二日目は、学生時代の友人と渋谷で飲んだ。仕事の愚痴を言い合い、久しぶりに笑って、終電で帰ってきた。それ以外は、ほとんどここにいる。
疲れているのだ、とようやく気づいたのは昨日のことだった。
四月は、目が回るような速さで過ぎた。
毎朝六時半に起きて、慣れない路線を乗り継いで、名前も覚えきれない人たちにお辞儀をして、マニュアルを読んで、メモを取って。
それでもわからないことだらけで、夜になると何もする気になれなくてそのまま眠って、また朝になる。
そういう日々が一ヶ月続いた。充実していた、と思う。
でもその充実は、気づかないうちにわたしの中の何かを少しずつ削っていたらしい。
今日はテレビをつける気にもなれず、ただ、天井を見ていた。
そうしていると、音が聞こえてくる。
耳を澄ますと、意外なほどいろんな音がある。
換気扇の低い唸り。道を走り抜けるバイクのエンジン音。どこか遠くで子どもが何かを叫んでいる声。風が窓を鳴らす、ごくかすかな音。
隣の棟から、話し声が漏れてくる。集合住宅の壁越しに届くから、言葉の輪郭はぼやけているけれど、親子だとわかる。低い声と高い声が、のんびりと交互に現れる。
怒っているわけでも、笑っているわけでもない。ただ、話している。昼下がりの、何でもない会話。
その声を聞きながら、わたしは自分の連休というものを思い返してみた。
学生の頃の五月は、どうだったろう。
アルバイトが入っていることも多くて、でも友達と予定を詰め込んで、夜は遅くまで騒いで、体力だけで乗り切っていた気がする。
実家にいた頃の連休は、もっと輪郭がぼんやりしている。特別なことは何もなかったけれど、家の中にいつも誰かがいた。それだけのことが、当時は当たり前すぎて見えなかった。
スマホが震え、母からの通知を表示する。
『帰ってくる?』
たったそれだけの文字をなぜかしばらく見ていられず、私は天井を見上げた。
──通りを行く人たちの声がまた聞こえてくる。
笑っている。家族連れだろうか。この連休を、外で過ごしている人たち。
わたしは天井を見たまま、返信を考えた。
『帰ろうかな』
気づいたら、そう打っていた。
送信してから、自分で少し驚いた。帰る気なんてなかったのに。でも指はそう動いた。
返信はすぐに来た。
『待ってる』
それだけだ。でもわたしはその三文字を見た瞬間、台所に立つ母の姿を思い浮かべた。
帰ると言えばきっと、わたしの好きなロールキャベツを作って待っている。何時に帰る、食事はどうするとも連絡していないのに、なぜか炊き込みご飯まで用意している。そういう人だ。
胸のあたりが、じわじわと温かくなる。疲れているのか、ほっとしているのか、自分でもよくわからなかった。
ただ、電車の時間を調べようと思った。乗り換えが二回ある。バスに乗れば、二時間もかからないはずだ。
換気扇が回っている。隣の親子の声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。
フローリングの四角い光は、もう窓際まで移動していた。
5/5/2026, 6:31:28 AM