稲荷山房

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「ねえちゃん、小樽さんいる。」
「いないわよ。」
 煙草をくゆらせて、ねえちゃんは長い脚を組み直した。金髪が半ば横顔を隠し、臙脂色の影を落としていた。
「いまさっき買い付けに出て行ったばっかり。タイミングが悪かったわね。……あ、お菓子食べちゃってよ。」
 ふうっと紫煙を空に吐く。スパンコールのドレスが、暗い照明の光を受けてきらきらと光った。わたしはランドセルを埃っぽい床に置いて、いつも通り、店の隅の脚立に腰をひっかけた。
「なにがあるの?」
「雪の宿と金城のゼリー。」
「…いらない。」
「あっそ。」
 わりと賞味期限やばいんだけど、とねえちゃんはカウンターに伏せ、
「あんた、ほんっと、ませてるよねえ。」と縁の欠けたマブカップを指先で何度か弾いた。
 仕方ないよ。好きなんだもの。
 この雑居ビルもあと半年後に取り壊されることが決まった。小樽さんのしなびた熱帯魚やさんも、ねえちゃんのいるお店も、わたしがもうひとまわり大きくなる頃にはこの町から消えてなくなってしまう。
 そうしたら、魚や小樽さんや彼女たちは、どこに行ってしまうのかしら。分からないし、どうも実感が湧かない。ふわふわシャボン玉みたいに漂うのだろうか。それとも、固くどこかに根を張って生きるのだろうか。
「ねえちゃん。」ふと呼んでみる。
「あ?」
「ここのビルが壊されたら、もう会えない?」
 ねえちゃんはふん、と鼻を鳴らした。
「なんで。会えるだろうよ。ていうか、会いたくなったら連絡よこしな。」
「大丈夫かなあ。」
「だいじょぶ、だいじょぶ。」

 大丈夫じゃないんだろうなあ、とわたしは思った。私が会いたいって言ったって、ねえちゃんは長いことずうっとメッセージを溜めるから。ずぼらなんだ。私のLINEには、知らない大人の人達が『友達かも?』の頁に並んだ。彼女は、『友達かも?』の人達には返事をするのだろうか。
 わたしはおしろいの乗った皮の厚い首を眺めた。
 わたしの手足ばかりがぐんぐん伸びて、代わりに小樽さんもねえちゃんも傍から失われるなら、わたし、一生子供のままでいい。

9/20/2025, 4:33:24 PM