俺と野球
何をしてもダメな少年時代だった。
幼稚園から習い始めたサッカーはコーチとの折り合いが悪くて小学2年か3年の時に逃げ出した。
スイミングは、どうしても平泳ぎが上手にならなくて、上の級に進めなくて辞めた。
テニスは少しはマシだったけど、やる気がないと言われてムキになって辞めてしまった。
いつからだろうか。教育熱心な母に通わされた中学受験のための学習塾でも、テストでいい点は取れないし、言われないと宿題もしなかったし、それだって良く答えを写してやった気になっただけで怒られていた。
小5小6の頃にもなると、学習塾が忙しくて友達と遊ぶことも少なくなって、遊びたい盛りなのに遊べないもどかしさから何度も親と喧嘩した。
そんな時に心の支えになってたのが、野球だった。
スポーツから何度も逃げ出して来た私が、唯一向き合えるスポーツ。
いつかのクリスマスプレゼントで、父親がPS4とパワプロ2016を買い与えてくれたことが興味を持ったきっかけだった。
当時、教育熱心な母とはとにかく折り合いが悪く、母が不貞寝した後、父と1試合だけやるパワプロが数少ない息抜きの時間になっていた。
西武線の沿線に住む私。父はいつも西武ライオンズを使っていた。私は、当時から日本海軍とかそういう歴史が好きだったこともあって、広島県にあるカープがお気に入りだった。
あの頃のことは今でも思い出す。
牧田のアンダースローに全くタイミングが合わなかったこと。
エルドレッドや鈴木のようなホームランバッターより、小窪や上本など、花のない選手が好きだったこと。
親がそんな様子を見て広島対西武の交流戦に当時のメットライフドームまで連れて行ってくれたこと。
そこで見た薮田が大好きになったこと。
中学で第一希望だった学校は野球部に入るそのほとんどが初心者ということで、いよいよ野球部に入ろうと、私の心づもりは決まっていた。
中学受験の終わりが見えて来た頃、弟が小学校の少年野球チームに入った。
昔から運動神経が根本的に違った弟は、あっという間に何でもできるチームの大黒柱になった。
一方私の行く先は暗澹たるものであった。
ほとんど受かると思われていた第一志望に滑ると、必ず受かると言われていた第二希望まで落ちた。
頭を抱える母の姿を今でも覚えている。
そして第三希望でもなかった、確実を取るために受けた中学に受かり、そこで私の中学受験は終了した。
無論ここでも野球部に入ろうかとは考えていたが、第一志望と違って初心者が多い、というようなことも知らなかったし、経験者だらけの環境に飛び込む勇気はなかった。
何の気なしに母に連れて行かれた吹奏楽部のアンサンブルに心を打たれ、野球部の見学に行くこともなく何も考えずに入部した。
ここでも、また人間との折り合いがつかなかった。
そもそも音楽自体も初心者なので、周りとの差は歴然。
できないことを先輩に陰口叩かれたのが気に入らなくて、部活に行かなくなってしまった。
唯一の楽しかった思い出は、野球部の応援で大田スタジアムで吹いたこと。
でもその楽しみだけではやっていけなくて、高校に上がる前に辞めてしまった。
8/9/2025, 1:45:54 PM