汀月透子

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〈砂時計の音〉

 朝の光が障子を透かして差し込む。畳の上を淡く照らすその筋の中で、私はそっと砂時計を裏返した。
 さらさらと落ちる砂の音が、小さな命の息づかいのように聞こえる。
 実際には聞こえるはずもない。でも、さらさら、さらさらと、確かに耳の奥で響いている。途切れることのない、静かな音。

 テーブルの上にあるそれは、古ぼけてペンキがところどころはげ落ちている。娘が子育てしていた頃は、歯みがきのタイマー代わりに使っていたらしい。
 今では、漢方のお茶を煎じるときに役立っているとか。あなたも健康に気を遣う歳なのね、と感慨深くなった。

 砂時計の砂が、すとんと落ちた。
 ひっくり返せば、また砂は落ち始める。何度でも、繰り返すことができる。
 でも、人の命はそうはいかない。

 夫が亡くなって干支が一回りした。この春、十三回忌の法要を営んだ。呼ぶ人も皆年寄りばかりなので、娘家族と息子夫婦だけで済ませた。
 夫の友人たちは、もう誰も残っていない。私の友人も、この二年で三人が鬼籍に入った。

──残された私の砂は、あとどれくらいだろう。

 夫が亡くなったあと、一緒に暮らそうと娘に言われてこの家に越してきた。
 元の家で独りきりのときは、テレビ以外は音を立てるものはいなかったが、この家はいつも誰かの声で満ちている。
 娘の台所仕事の音、婿さんの帰宅の足音、そして今は、生まれたばかりの曾孫の泣き声。
 命の音だ。

 曾孫の花ちゃんは先週生まれたばかり。娘の娘の、そのまた娘。
 白い産着に包まれた小さな命を抱かせてもらったとき、泣きそうになった。
 眩しかった。眩しすぎて、直視できないほどに。

「ばあちゃん、よかったね」
 娘が優しく声をかけてくれた。

 あやされている赤ん坊の顔をのぞき込むと、ほっぺが桃のようにやわらかくて、目を閉じたときのまつげの影までいとおしい。
──こんなに小さかった時があったのよね、娘たちも。

「ばあちゃん、これ、落ちきったらどうなるの?」
 孫娘が、幼いころ訊ねてきたことを思い出す。あの時も、私はこう答えた。
「また、ひっくり返せばいいよ。時間は終わるようで、続いていくの」

 けれど、本当はそう簡単じゃない。人の時間は、誰もひっくり返せない。だからこそ、音を聞く。落ちていく砂の音に、過ぎていく日々の重みを感じながら。

「お義母さん、お茶です」
 婿さんが湯呑みを持ってきてくれた。ありがとう、と受け取る。すぐ飲めるよう、少し冷ましたものだ。
 娘も婿さんも、老いぼれた私にごく自然に気を遣ってくれる。

「花ちゃん、明日またお顔見せに来てくれるそうですよ」
「まあ、そう」

 顔がほころんだ。もう一度、あの小さな顔を見られる。あの小さな手を握らせてもらえる。

 窓の外で、鳥が鳴いた。目をやると、庭の山茶花が紅い花をつけ始めていた。
 曾孫の名前の花ちゃんは、孫夫婦が二人で考えたもの。どの季節も咲き誇る、命の力に満ちた花。
 砂時計の音が、また聞こえた気がした。

──さらさら、さらさら。

 それは時の流れの音。終わりに向かって、確実に、静かに流れてゆく音。
 私の胸の中では、その音が絶えず響いている。静かな、でも確かな音だ。
──あの人の分まで、生きているんだものね。

 自分の砂時計が下の膨らみに落ちきったとき、花ちゃんの砂時計はまだ上にたっぷりと砂を湛えているだろう。
 そしてその砂もまた、美しく輝きながら、ゆっくりと落ち続ける。

 テーブルの上、砂時計の砂はもう落ちきっている。私はそれをそっと裏返した。さらさらと、また音が始まる。
 時間は戻らないけれど、命は続いていく。音を立てながら、静かに、確かに。


──
#追記

書いてる途中、「婿さん」の表記を考えて寝落ちしてました(
差別的と捉える向きもあるようですが、90近いおばあちゃんが親しみを込めて話してる言葉なので、ご勘弁を。

10/17/2025, 11:43:51 PM