すゞめ

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『どうして』

 どうして、こんなところに?

 唐突に変更させられた待ち合わせ場所。
 そこは駅からさほど離れていないところにある大衆居酒屋であった。
 普段の彼女なら、自分からこの店を選択することはまずない。
 一抹の不安を抱えつつ、俺は店内に入った。

「お連れ様のご来店でーす!」

 店員の声かけに反応したのか、彼女が顔を上げる。

「おー。意外と早かったね?」

 店の隅のふたりがけのテーブル席で、彼女はジョッキ片手に枝豆を摘んでいた。

 は?
 まさか、飲んでる……、とかないよな?

 こんなにもかわいい子がひとりで飲んでたら、絶対ペロッと食べられてしまう。

 別に飲むなとは言わないけど……。
 せめて、俺と一緒に入ってほしい。

 ため息をつきながら、俺は彼女の真向かいの椅子に腰をかけた。

「なにを呑気なこと、……いや、それより、それ食ったら出ますよ?」
「まぁまぁ、そんな慌てないで。一杯くらいつき合ってよ」

 上機嫌すぎる彼女に違和感を覚える。

「……それ、酒ですか?」
「まさか、ただのウーロン茶に決まってんじゃん」

 俺に向かってジョッキを差し出す。
 鼻を近づけて、アルコール臭がないことに胸を撫で下ろす。
 念には念を重ねてひと口飲んでみたが、まごうことなくウーロン茶だった。

「一杯なら奢るけど?」

 シラフでこの楽しそうなテンションは、いくらなんでも雰囲気にのまれすぎだろう。
 やはり彼女をひとりで飲み屋に行かせるのは心配だ。
 俺の心配など露ほども汲まない彼女が、メニューを渡す。

「けっこうです」

 彼女に奢られるつもりも、居酒屋に長居するつもりも一切ない。
 手渡されたメニューはついたてに戻した。
 とはいえ、アルコールを注文しないのも気が引ける。
 店員におしぼりを手渡されたついでに、生ビールとたこわさを注文した。
 ほどなくして生ビールとたこわさが届き、彼女と軽く乾杯をする。

 生ビールにひと口だけ口をつけたあと、俺は本題を切り出した。

「どうして急に居酒屋へ?」
「ごめんて」

 別に謝ってほしいわけではない。
 わざわざ慣れない居酒屋にまで来た理由を知りたいだけだ。

「きれいなお姉さんだったら乗り込んでもよかったんだけどね。かわいい子だったから遠慮してあげたの」

 口を噤んで彼女の言葉を待っていたが、茶化すような焦らすような言い方に、我慢できなくなる。

「なんの話です?」
「女子高生に告白されてたでしょ?」

 痺れを切らしたのは俺だが、彼女のドストレートな言葉に狼狽えた。

「んんっ!?」

 挟もうとしたたこわさが箸の中で滑り落ちる。

「あ。覗いたわけじゃないからね?」
「わかって、ます、けど!?」

 改札口を出たところで呼び止められて、人目をはばかることなく、若さを盾に思いの丈をぶつけられた。
 もちろん、その告白にはNOと突きつけ立ち去ったが、まさか彼女にまで目撃されたとは、不徳のいたすところである。

「……そ、れは、不愉快な思いをさせました」
「居酒屋(ここ)なら、その女の子とバッティングする心配もないかなって」

 まあ、未成年だしな?

 彼女が居酒屋を選んだ理由に納得していると、フッと彼女の瞳に影が落ちる。

「れーじくんがどう断ったのか知らないし、女の子の気持ちの大きさなんて興味もないけど……」

 切な気に長い睫毛を揺らして、彼女は枝豆を摘んだ。

「好きな人の好きな人を見るのはキツイでしょ?」

 彼女自身の記憶を顧みているのか、俺に気を遣っているのか。
 どちらにせよ、その大きな瑠璃色の瞳はほろ苦い過去へと向いていた。

「青春に泥を塗る気分でもなかったし、相手が子どもだったから見逃してあげただけ」

 視線を俺に戻した彼女は、柔らかく目元を細める。

「れーじくんだし、そういうこともきちんと諭したんでしょ?」

 諭して諦められる恋なら苦労はしない。

 それでも、人に好意を寄せる前に相手がいるかどうかは見極めるべきだ。
 好きな人に好きな人がいる程度ならまだかわい気があるが、恋人や既婚者がいる場合は笑いごとではすまされない。

 好きな人を泣かせてまで奪ったところで、疑心暗鬼に苛まれるだけだ。

「俺を信用してくれてるんですね?」
「信用はしてるけど……」

 ここからが本題、と言わんばかりに彼女は目を光らせてテーブルに肘をつく。

「どうやって女子高生と出会えたの? SNS? それともゲーム? さすがにマッチングアプリではないと思いたい」
「あれ? おかしいですね。全然信用してないヤツですよ? それ」

 冗談めかす割りに、彼女は逃す気はないようだ。

「帰りの電車が時々、同じだったみたいですね」
「えっ、それだけ?」
「らしいです」

 彼女と結婚して以降、残業が少ない部署に異動させてもらった。
 会社近辺では寄り道する機会もない。
 自然と電車に乗る時間や車両も決まっていた。

「ふーん」
「不安ですか?」
「誰に言ってるの?」

 勝ち気に言い捨てた彼女はウーロン茶をカラにする。
 その眩しさに目眩がした。
 彼女は今後、俺が時間や車両、通勤ルートをバラけさせるであろうことを疑っていない。
 この信用を裏切るなんて、できるわけがなかった。

「それは、失礼しました」

 俺もジョッキを空けて、彼女の近くに置かれた伝票を奪い取る。

「それより、久々の外食なんですから。もう少し俺に張り切らせてください」
「予約してたんだっけ?」
「ええ。なのでそろそろ」
「ん。わかった」

 帰り支度を促せば、彼女は椅子から立ち上がる。
 夕飯をすませるために、俺たちは居酒屋を出るのだった。

1/15/2026, 8:27:46 AM