手のひらの宇宙

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突然、家のドアがガチャっと開いた。

サンズは少し驚いた。ドアの音に驚いた。
ドアノブを握っているのはじぶんの手なのに。
サンズは驚いていたが、表情はさほど変わらなかったので、そのまま家に入った。
家の中は別に暖かくも寒くもない。外もそうだ。
雪はあるが、寒くない。それがスケルトンの利点だ。

後ろ手にドアを閉める。そっとだ。
サンズの視線は弟の部屋にあった。
サンズは少しよろめきながらリビングを横断した。
サンズはあまり飲まなかったが、今日はやった。
アルコール依存症ではない。ストレスでバカみたいなことをしでかすより、酒を飲んでそうする方がはるかにマシだからやった。

キッチンにいくと、すぐにため息がもれた。
忘れていた、シンクは前よりサンズに意地悪くなった。
方向転換して、冷蔵庫を開けると、ガラッと氷が滑りでる。2個掴んで口に放り込んだ。
一瞬、眼窩の中にいれようかと思ったが、やめた。
口だろうが目だろうが体内に入ればなんでも同じだと思ったが(これは自分を蔑ろにしているのではない。事実、そうだからだ)、痛ければ後悔するだろうと思った。

サンズはそれほど打算的でも、利口でもなかった。

もう1個口に含んで、飲み込んだ。
サンズにはそもそも喉がないので、詰まることもない。従って咀嚼の意味もそれほどない。

サンズは肩を適当に回しながらキッチンから出た。ポキポキ鳴ってるのがなんなのか、サンズですらわからない。昔は小骨かなんかが折れてるのかと思っていた。今は霜かなにかが壊れてるのだと思っている。

階段を上るのは時々とても苦労するが、今がそうだと思う。なのでサンズは一段登ってすぐ部屋に近道した。
電気を付けると、すぐ付いた。昨日は電球が悪くなって付くのに遅れをとっていた気がしたが、……
サンズの記憶力の問題だろう。

ベッドへ腰を下ろし、体から力を抜いた。

「ふー」

天井を見つめたまま、モゾモゾ動いた。
両手を組んで、頭の上に持って行って、両腕に頭をのせた。
サンズは枕を買うつもりがなかった。毛布を買ったからだ。
サンズは足を上げて、毛布のかたまりにのせた。
快適だ。見た目はそれほどそうには見えないだろうが、それでも快適な感覚だった。

サンズは目を閉じた。
このまま眠るつもりは“毛頭なかった”がとにかくそうした。
そうすると、側頭部に虫が這っているのをハッキリ感じた。比喩的な意味で。
胸も、肋骨の中に植物でも飼ってるみたいだ、葉が擦れるのと大差ないくらいザワザワしている、落ち着かない。
サンズはため息を付いた。
毛布にのせたまま、貧乏ゆすりをはじめた。
サンズは少し落ち着くかんじがした。
心臓が脈打つのと同じように、その動きが体に必要不可欠で、していて当たり前の事のように思える。
貧乏ゆすりをすると、いつもそのように感じられた。

そのまま続けた。
落ち着かない。両足でやってみた。馬鹿らしい、痙攣してる虫みたいだ。それでも落ち着かない、クソだ。
サンズは頭をかきむしってめちゃくちゃに叫んでやりたくなったが、その代わりに腕を天井に突き出した。
そして、サンズらしくはない俊敏さで起き上がった。
突然。ぐわんっと視界が揺れて、視界の端が暗くなって、キーンと聴覚が狂ったものの、それはすぐに治った。

サンズはもういちどキッチンに降りようと思った。
近道した。
そして驚いた。キッチンにパピルスがいた。
パピルスは冷蔵庫を漁って、どうやら冷蔵庫の中身を適当に整理しているらしかった。
サンズがやろうとしていた事だ。

「……」
「……」

このまま、なにも見なかったふりをして部屋に戻った方が健全に済むだろうか。
しかし、サンズの思考はハッキリ遅れをとっていた。
パピルスはもうサンズを見ていた。

パピルスはとても驚いた様子で、手元のパスタタッパーを横向きに持ち上げたまま、固まっていた。

「……」
「……」
「……ビビったか?」
「……はッ?」

パピルスは古いPCの動画のように動いた。

「ビビったろ。そんなに口、あんぐりあけてさ」

サンズは気楽に歩いてパピルスの持つタッパーの中身を見た。
ホネを抜けば食べられそうだったので、パピルスの手からそれを抜こうとしたが、パピルスはカウンターの上においた。
サンズはカウンターに向かって手を伸ばした。
パピルスはもういちどタッパーを持ち上げて、冷蔵庫の上にタッパーを移動させた。

「おまえにはこのタッパーがねこじゃらしかなんかにみえるのか?」
「……こんなにおそくにたべたらダメだよ」

厳密に言えば、それは正しくない。しかしさらに厳密に考えると、それは正しかった。
サンズは手をポケットに戻した。

「だったらおまえ、こんなおそくになにしてるんだ?ねてなきゃだめだろ」
「サンズだって!」
「ウマのみみにねんぶつ〜」

サンズはキッチンから出ながらいった。
パピルスは黙って首を引いた。

いや、黙ってはない。一度だけ、鼻から抜ける「んー」という声を出した。ハエの鳴き真似をする時みたいな声だ。
サンズはソファに座って、ジャガジャガ鳴らしながらリモコンを探した。
パピルスもキッチンから顔を出した。

「……なんにもやってないよ」
「ついてるだけマシなんだ……リモコンどこにおいた?」

パピルスはまた高く唸った。
サンズは気にしなかった。指先が硬い柄を見つけた。そのまま引き上げる。

かすんだ赤いボタンを押すと、テレビの電源がついた。静止画。
サンズはソファにボスんと突っ込んだ。
じぶんの足先の方を見て、サンズは二度見した。

パピルスはいつのまにか、ソファ(サンズから離れた位置)に座っていた。
驚くべき事に、この夜だけでサンズはパピルスに二度も驚かされた。
驚くべきことだ、明日はスノーフルの雪が全部溶けてるだろう。
化石かなにかが露出するだろうか?
それなら面白いのに。

サンズは鼻から息を抜いて、床を意味もなく見つめているパピルスに声をかけた。

「なあ」

その先も言うつもりだったが、なぜだか出なかった。
恥ずかしいとかそんなハッキリした感情はないが、そういう時に見られる、つっかえには違いない。

「……あー」
「絵本よんでくれるのか!?もう一回ッ!?」

パピルスは元気よく立ち上がってその場で跳ね上がった。
サンズはこれで恥ずかしくなった。恥ずかしがっていると思われている事に恥ずかしがった。

「うん、そうそう、そういうこと」
「やったー!兄ちゃん!感謝するぞ!」

サンズは意味もなくコクコクと頷き続けた。
自分でも、首振り人形みたいだという自覚が芽生えると、余計に首振り人形みたいになった。

「……なに首振り人形やってるのッ?さっさとたちあがれなまけボネ!」

パピルスは声をはりあげて「にゃーっハッハッハ!」と言いながら、階段を駆け上がった。
サンズはノロノロと起き上がりながら、やっぱやめときゃよかったかなと思った。
あのテンションじゃ、1冊の本の力でなんて、無茶だろう。


サンズがノビをすると、背骨が激しく鳴りひびいた。
パピルスの寝息が一瞬止まった。
サンズは肋骨と腕を伸ばしたその体制で固まった。

「…………スカーっ」

パピルスの膨らんだ胸は萎んだ。
萎んでまた膨らみ、そしてまた萎んだ。
また寝息を立てていた。

「ハア……」

サンズはすぐに背を丸めて、ため息をついた。
掌に額をのせ、しばらくそのまま目を閉じる。

今はなにも気にしないでいい。
なぜか?
とても眠いからだ!

サンズは手の中で頷いた。
側頭部の虫は相変わらず歩きすぎだったが、眠気の方がはるかに騒がしい。

怠慢な動きで顔を上げた。
もう眼窩はほとんど開かないが、なんとか立ち上がって、近道をした。

瞬時に、まばゆい光が目を焼いた。
目をギュッと閉じて唸る。

そうだ、サンズは自室の電気を付けっぱなしにしていた。

パピルスの部屋はすっかり暗かった、そうしなければパピルスが寝ないからだ。

「まったく高機能な眼窩だ」

サンズは乱暴にスイッチを叩き、明かりを消し去った。

「よし」

そしてすぐさまマットレスに飛び込んだ。
マットレスを抱きしめる。
力をいれて抱き込んだ。

そうしていれば胸のざわめきも虫けらどもも少しは誤魔化された。

「よし……ようやく本領発揮だ、サンズ」

ブツブツ言った。
サンズは大抵いつも役に立たないが、今のような状況にはとても強かった。
サンズは眠る事が得意だったのだ。
いや実の所、サンズはそれ以外、ほとんどなにも得意ではなかった。

「……寝ろ、サンズ」

膝でマットレスを蹴った。また貧乏ゆすりを始めてみる。

そうだ、明日の朝になれば解決している。
明日の朝にはいつも良くなっている。
いつもなにも気にしないでいられるのは朝なんだ。

その朝を少しでも良くする気があるなら、もう眠るべきだった。

……だが、サンズにはわからなかった。
朝の解決は、いわゆる“時間による解決”なのか、それともただの愚かな“先延ばし”なのか。

「……フ〜……」

サンズは額をマットレスに擦り付けた。

「……もう二度と酒なんて頼むなよ、サンズ」

サンズは拳を作り、それを頭の上に持って行った。膝を折って、腰椎にねじこみ、マットレスの上で背を丸める。

なんの意味もない。

考えることにも、体制を変えることにも、弟と話すことにも。

随分冴えている、どうやらいつもと違うグラスは無駄だったようだ。払った金も。

酒を頼んだ時の周囲の目に“すぐ気にならなくなる”と誤魔化した、あの愚かな行為。
なにか冗談のひとつでも言うべきだった、おい、考えてみろよ、あいつらから見たサンズはどうだ?
今日は静かすぎた上、酒を何杯も頼んだ、陽気なスケルトン。

「もういい、もう十分だ」

ただの独り言もクソに聞こえる。
演技がかっていて、なにか下らない。
実際の瀬戸際を感じさせない。

いつもこうだ、冗談めいていて、大袈裟すぎる。
実際は大袈裟でもなんでもない、適切な量の苦痛に対する適切な反応なのに。

「あ〜……」

サンズは側頭部をガリガリした。

サンズは専門家ではないが、飲酒がサンズになにもしない事は明白だ。

……サンズはなんの専門家でもない。
ホットドッグの専門家ではない、だからウォーターソーセージを挟んでも全く気にならない。
星の専門家ではない、だから貴重なレンズを台無しにできた。
ジョークの専門家でも、弟に母親ヅラする専門家でも、友達を作る専門家でも、SFの専門家でも、とにかく、サンズは、何者でもなかった。

だから何も分からなかった、どうすればいいか分からなかった。

普通そうだ、そうだと思わなければならない。

みんな、なにかに発散するだけして、解決から逃げる時くらいある。だろう。きっと。

そう、明日の朝にはすべてぼやけている。

……サンズはようやく目を閉じた。

12/11/2024, 11:55:08 AM