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お父さんのひなまつり(テーマ ひなまつり)



「今日、3月3日なんだけど。」

 久しぶりの休日で、昼間で寝るつもりだった俺は、妻のやけに冷たい声に起こされた。

(3月3日。・・・何の日だったか。そうだ、ひなまつりだ。)

 雛祭りの人形などは用意していない。

 そう言えば、少し前から妻がなにか相談しようとしてきたが、仕事が佳境でロクに睡眠時間も取れていなかった俺は、まともに聞くことができていなかった。

 土曜日の昼で仕事が一段落し、帰ってから寝続け、居間に至る。

「真子は?」

「朝ご飯食べて、テレビ見てる。」

 娘の真子はすでに起きているようだ。

(日曜日の朝のアニメは偉大だ。親に貴重な時間をくれる。)

「ひな祭り、なしでよくないか?夕飯やおやつで少しそれっぽいものを出すくらいで。」

 適当に答えると、妻の気分が一段悪くなったのが目に見えた。

「仕事が忙しいのはわかるけど、親としてどうなの?それ。」

「・・・でも、当日に雛人形とか買えないだろ。」

「スルーはしない。真子に嫌な思い出を作っちゃだめ。こういうの、悪いことは一生覚えてるわよ。」

 こうして、仕事で神経をすり減らす日々の間のたまの休日も、朝から難問に取り組むことになった。



 俺の実家は男兄弟しかいないので、雛祭りの人形はない。

 妻の実家にはあったようだが、立派すぎて家には飾れない。

「とは言え、買うのもなぁ。」

 物が何もかも高くなっている昨今だ。1年に1回、飾るだけのものに高い金を払うのは痛い出費だ。

「こういうの、一生物だと思うんだけど。」

「でも、適当に安いのを買うのも中途半端だし、高いものを買うくらいなら、真子の進学のための費用に充てておいたほうがいいんじゃないか。」

 金を貯めることも難しくなっているが、学費は意地でもためていかないと、真子が高校・大学に行くときに辛い選択をさせることになる。
 それは避けたかった。

「友達に自慢できるとまではいかなくても、何もしなかったっていうのはないと思うわよ。」

 しばらく悩んだ末に、覚悟を決める。
 金の覚悟ではない。

「よし。作ろう。」

 手探りで休日を潰す覚悟だ。



「おかあさん。次、どうするの?」

「ちょっとまってね。次はここを折る感じね。この画面よ。ねえ、ひな壇を作るにはどうしたらいいかな。本を重ねて、シーツかける?」

「それで作ったら本が読めなくなる。空の菓子箱がいくつかあっただろうから、切り貼りして作ってみよう」

 全部手作りでやろう、ということになると、その後はおしゃべりしながら細々作業をした。

 スマホで折り紙を調べて、雛人形を作ってみる。

 妻の人形はできが良く、次に娘。最後に俺の出来損ない。

 大人しく菓子箱の厚紙を切り刻み、ひな壇を作ることに専念した。


 しばらく紙と格闘し、折り紙のひな壇が出来上がった。

「やった」

 娘は、最初は立派な人形ではないことを気にしていたが、折り紙で一緒に作り始めたときから切り替えたのか楽しそうにし始め、出来上がったらスマホで撮影をはじめた。

 俺のスマホで、雛祭りのBGMを流してみる。

 少し、様になった気がした。

「ね。やってよかったでしょ?」

 妻の声が気持ち、得意そうだ。

「まあ、真子が喜んだならよかった。」

「あなた、最近帰ってきて寝るだけだし。こういう時に一緒になにかしておかないと、そのうち、口を利いてもらえなくなるわよ。」

(なんて恐ろしいことを。)

 次のイベントはホワイトデーか。
 こちらは手作りは難しいかもしれない。

(大人しく何か買おう。)



 そも、今の形のひな祭りは、江戸時代からあったらしい。
 それ以前の原型となった行事を含めるなら更に遡る。

 厄災避けの「守り雛」として、本人の代わりに厄を受けてもらったり、厄を払ってもらうための儀式

 子どもの死亡率が今より遥かに高く、子どもが健やかに成長するために「祈る」ことしかできない時代。

 人間の「科学知識」という力が今より遥かに少なく、その分「運命」やら「神」やらが幅を効かせていた時代の行事だ。


 今は、それに頼らなくても日本では多くの子どもが健やかに成長できる環境がある。

 だから、忙しいからやらなくても、多分問題ない。

(しかし)

 行事がないと、日々の暮らしに精一杯の日々。
 毎日、同じことを繰り返す日々だ。

 忙しいからと言って、そのイベントたちを全部すっ飛ばしていくと、心を亡くして毎日毎日働くだけの日々が延々と続くだけになる。

 そう。ボス戦なし、イベントなしのRPGのようなものなのだ。

 人生には「ハレの日」というものが必要なのであろう。


 昼間、菓子箱の厚紙と折り紙で作ったひな壇を見る。できの良いものも、悪いものもある。世界に一つだけの、不揃いのひな壇。

(娘と一緒に折り紙をする休日というのも、悪くなかった。)

 そう考えると、今日の日は、良い思い出と言ってよかった。

(面倒だからと、辞めてしまっては自分の心までなくなる。忙しいからと、家庭まで効率化・省力化。・・・おかしくなっていたんだろう。)

 明日の仕事がより億劫になったが、真子の寝顔を見て、気合を入れ直した。

 そして、明日のために、さっさと寝た。

 また長い仕事との格闘時間が始まるのだ。

3/3/2024, 2:23:07 PM