途中です
①出会い
あさひは、ピアノ教室の帰りだった。
ピアノバッグが足の前に来るように持ち、
右足を踏み出すときは左足で、
左足を踏み出すときは右足でバッグを蹴る。
もしお母さんがここにいたら怒るだろうなと
考えながら家に帰っていると、
ちょうど公園に通りかかった。
いつも誰もいない公園。
滑り台も、ブランコもないから当たり前なのだが。
あるのは、トンネルくらい。
トンネルでさえ古びていて、いつもはあんまり近づきたくないと思うのだが……
「あれ?」
きらっとトンネルの奥の方で何か光ったような。
あさひはなんか気になっトンネルに近づいた。
トンネルを覗き込み、はっと息を呑む。
なんと、トンネルを抜けた先は、大きな大きな木と、ちっちゃくて可愛らしい白い花がたくさんさいている原っぱに見えたのだ。
慌ててトンネルの中からではなく外から反対側を
見ても、そこにはただの砂場が見えるだけ。
木も、花も、原っぱもない。
もう一度トンネルを覗く。
ほっぺたをつねる。
夢じゃない。
あさひは確信した。
トンネルの向こうは、別の世界だ!!!
そう思ったら、体は勝手に動いていた。
トンネルの中に入り、反対側へとハイハイで向かう。
向こう側へ出ると、あさひは思わず呟いた。
「…きれい……」
どこまでも広がる原っぱ。
草花はさわさわとそよ風に揺られている。
白の花たちの上をモンシロチョウやアゲハチョウが
舞い、大樹からは小鳥のさえずりが聞こえてくる。
思わず目を閉じ、耳を澄ませ、小鳥のさえずりに耳を傾ける。
思い切り深呼吸すると、草花のにおいが鼻に入ってくる。
「どうしたの?こんなところで。」
目を開けると、そこには一人の男の子が立っていた。
名前は、みなとで8歳だと優しい笑顔で教えてくれた。
自分はあさひで5歳だと言うと、みなとは
あさひって呼び捨てでもいい?と聞いた。
うん、と言うと、みなとはなんだかすごく嬉しそうった。
みなとは、痩せ気味で色白の男の子だった。
あさひは、ずっとみなとを見ながら、ガリガリだなぁ、と思っていた。
しばらく遊んでいるうちにすっかり打ち解け、
あさひも最初はみなとくん、と呼んでいたけれど、
最後の方はみなと、と呼び捨てにしていた。
少し疲れたので大樹の下で休んでいると、
みなとが少し強張った顔で言った。
「もし、良かったらなんだけどさ…
みなとお兄ちゃんって呼んでくれないかな?」
「わかった!じゃあさ、みなとお兄ちゃん、
明日も遊んでくれる?」
「うん、いいよ。でも晴れたらね。晴れたら、
今日と同じ時間に、ここで遊ぼう。」
みなとは嬉しそうに笑った。
②楽しい日々
次の日。
あさひは昨日と同じ時間、泣きながら公園に行き、トンネルをくぐった。
お母さんに怒られてしまったのだ。
毎日少しはピアノの練習をすると決めているのに
それをさぼったからだった。
「だってっっ、毎日同じことするとかつまんないんだもんっっ。」
「そんなに悲しそうな顔してどうしたの?」
優しい声がした。
気づけば、みなとが心配そうにあさひの顔を覗き込んでいる。
あさひは、お母さんに練習をさぼって怒られたことを伝えた。
みなとはうーんとしばらく考えたあと、
口を開いた。
「あさひはピアノ好き?」
「うん、練習は嫌いだけど。
いろんな音が出て、いろんな曲が弾けるとこが好
きなの。」
「」
③みなとが本当におにいちゃんであることが発覚
家に帰って玄関で靴を脱いでいると、
靴箱が目に止まった。
「え…なんでみなとお兄ちゃんの写真がここに?」
「え、なんでみなとのこと知ってるの?」
声がした方を見上げると、お母さんがいた。
なかなかあさひがリビングにやってこないので
様子見にしに来たのだ。
「え…」
あさひはお母さんがみなとを知っていることに
驚いた。
「あ、もしかしてばあばに聞いた?
みなとは、あさひのお兄ちゃんだってこと。」
「…え?そうなの?」
「あれ?ばあばに聞いたんじゃなかったの?」
「……」
あさひは驚きのあまり、言葉が出なかった。
「…で、でもさ、私、お兄ちゃんに会ったことないよ?」
「え、それもばあばに聞いたんじゃないの?
まあ、いいか。えーっと……。」
お母さんは、あさひにどういう伝え方をするか迷っているようだった。
しばらくの沈黙の後、お母さんはゆっくりと口を開く。
「…みなとはね、あさひがまだ赤ちゃんの頃に病気になっちゃったの。…それで、天国に行っちゃったのよ。」
「え…。」
みなとお兄ちゃんは、もう死んでる?
生きてない?
じゃあ、私が遊んでるみなとお兄ちゃんは誰?
もしかして、幽霊?
考える前に体が動いていた。
「お母さん、ちょっとだけ散歩行ってくる!!」
突然あさひは家を飛び出した。
いつもの原っぱに行かなきゃ。
聞かなくちゃ。
早く行かないと、もう会えなくなる気がするから。
「あさひー!どこ行くのよ!!!」
後ろの方で、お母さんの声が聞こえる。
急に家を飛び出したのだから、当たり前だ。
でも今は、そんなこと気にしてる場合じゃない。
前だけ見て走る。
家を出てすぐ左に曲がり、まっすぐ進む。
突き当り右に曲がり、またしばらくまっすぐ進む。
下校中の小学生がちらほらいる。
のんびり談笑しながら帰る小学生達と、
必死に走るあさひは対照的だ。
息を切らしてもまだなお必死に走る5歳の女の子というのは珍しいので、目で追われる。
額にたれてきた汗をぐっと拭う。
あと少し。
「はぁ、はぁ。」
だいぶ息苦しくなってきた。
公園が見えてくると、息苦しいことを忘れ、自然とスピードを一段階上がった。
「はあっ、はあっ、おぅ、おぅぇっっ」
吐き気を気合で抑え込み、公園へ一直線。
公園には、誰もいなかった。
いつもいないけど。
トンネルへ走る。
中へ入って、反対側へ急いだ。
手や足の汗で滑ってこけかけたし、進みづらかった。
トンネルの向こうは、いつもと同じ、大きい大きい木と、原っぱと、原っぱに咲く小さな白い花々だった。
だけれど、少し違ったのは、世界が優しいオレンジで包まれていることだった。
あたたかい西日が、全てをやわらかく包みこんでいるようで心地よい。
それから、いつもなら木の前でにこにこしている
はずのみなとが、今は寂しそうに笑っていた。
「……みなと……お兄ちゃん……」
声がかすれる。
「気づいちゃった?僕の正体。」
みなとは優しく言った。
「みなとお兄ちゃんは、ほんとのお兄ちゃんなの?
幽霊なの?」
「そうだよ。今まで黙ってて、ごめんね。」
「…なんでわたしは幽霊が見えてるの?」
「それは、僕が神様にお願いしたからだよ。
僕、ずっとずっと遊びたかったんだ、
あさひと。」
「…わたしと遊びたかった…?」
「うん。僕はあさひが生まれてから、お母さんが
あさひのお世話ずっとしてたから、
嫌だったんだ。だから、あさひも嫌いだった。
だから、全然遊んであげなかった。
それを、死んでから後悔したんだ。」
「そうなの?」
「あさひがお母さんのお腹の中にいるって
知ったとき、僕、絶対にいいお兄ちゃんになる
って、決めてたんだ。だけど、生まれてからは
お母さんがあさひに取られちゃった気分で、
悲しくて、そんなことすっかり忘れてたんだ
よ。」
「……。」
「死んだあと、気づいたんだよ。
あさひのいいお兄ちゃんになるって決めたのに、
僕はそれが生きている間にできなかった。
それがすごく悔しかったから、もう一度だけ
チャンスをくださいって神様にお願いしたんだ
よ。」
「そう、なんだ。でも、そのチャンスってさ、
お母さんとかお父さんに会うのに使ったら
良かったんじゃない?」
「うーん。確かに会いたいんだけど。。。
死んだすぐ後は、
お母さんにお父さんにゆうたくんに
はやとくんにおばあちゃんにおじいちゃんに
いとこのはっちゃんに、もう会えないのがすごく
悲しかった。
けど、ある日お父さんが言ったんだ。
こんなに多くの人に悲しんでもらえて、
みなとは幸せだろうなって。」
「…悲しいのに幸せなの?」
「そうだよ。
悲しんでくれるってことはそれだけ僕のことを
大切に思ってくれてるからなんだよ。
それって幸せなことだと思うな。」
あさひが眉間にシワを寄せて考えていると、
みなとは笑った。
「ふふっ、難しいよね。
わからなくてもいいよ。
僕は、皆が僕のことを大切に思ってくれてた
ことを知れて嬉しかった。別にもう会えなくて
も、それだけでいいかもなって思ったんだ。」
「なんか難しいけど、みなとお兄ちゃんは嬉しそう
だから、きっと良いことなんだね。」
みなとは頷いた。
「うん。。。こうやってあさひとたくさん遊べて、
お世話できて、僕はすごく楽しかったけど、
いいお兄ちゃんになれたのかなぁ。。。」
「もちろん!みなとお兄ちゃんは
すごくいいお兄ちゃんに決まってるじゃん!!
いっぱい遊んでくれるし、
優しくしてくれるし、かっこいいし、
あと、あと……」
あさひは放っておいたらみなとのいいお兄ちゃんポイントを永遠とあげていきそうだった。
みなとは恥ずかしくなって顔を真っ赤にしながら
初めてあさひの話をさえぎる。
「ちょっちょっ、ちょっとまってあさひ。」
「え?なんで?まだあるよ。足もすごく速いし…
ぎゅーってしてほしいって言ったらしてくれる
し…」
「いや、いい!もういいから!わかったわかった!
あさひが僕のこといいお兄ちゃんだと思ってくれ
てるのはすごくわかったから!!!」
「…そう?」
「うん、うん!すごくわかった!ありがとう。」
すごく恥ずかしかったけど、あさひが本当にみなとをいいお兄ちゃんだと思ってくれてるのが分かって
すごく嬉しかった。
「良かった……いいお兄ちゃんになれた……」
思わず呟くと、すかさずあさひが言った。
「そうだよ!!みなとお兄ちゃんは、すごく
いいお兄ちゃんだよ!」
みなとは嬉しそうに、そして、満足気に笑った。
と同時に、みなとの周りに小さなキラキラが現れる。
だんだんキラキラは、みなとの体を優しく包み込むようにして増えていく。
「え…?何これ?」
あさひが不思議そうに言うと、みなとが答えた。
「もう、あさひとバイバイしないと。」
「わかった!明日も晴れたら今日と同じ時間に
ここだよね?」
みなとはゆっくり首を振った。
「え?違うの?あ!もしかして、雨が降っても遊んでくれるの?嬉しい!」
みなとはあさひの前向きさでもっと悲しくなった。
「違うんだ…違うんだよ、あさひ。」
「違う…?どういうこと?」
「もう、僕はあさひとは会えなくなるんだ。
ずっとバイバイってことだよ。」
あさひは一瞬驚きで固まった。
その後すぐ、たくさんの大粒の涙があさひの顔をポロポロと流れる。
「うわーーーーんうわーーーーーん
なんでっ…?なんで?みなとお兄ちゃんはっ、
ずっとっ、あさひのっ、そばにっ、
いてくれるんっじゃないのっ?」
嗚咽を混じりらせながら一生懸命に訴えるあさひを見てみなとも胸が痛くなる。
みなとはあさひをぎゅっと抱きしめ、背中をさすってあげた。
それからしばらくはずっと、世界はあさひの鳴き声で満たされていた。
あさひが泣き止むまでの間、みなとはずっと
あさひを抱きしめ、優しい言葉をかけ続けた。
あさひが少し落ち着いてきたとき、みなとは言った。
「どうしてもあさひに会いたいって神様にわがまま
言って願いを叶えてもらったんだ。
その代わり、僕があさひのいいお兄ちゃんになれ
たって分かったらすぐ戻るって約束したんだ。
少ししか一緒にいられなかったけど、
すごく楽しかった。ありがとう。」
あさひは、みなとの方に埋めていた顔を上げ、
みなとの顔を見た。
「……わたしもっ、楽しかったっ」
「…良かった…」
キラキラがより一層濃くなる。
幼いあさひでも分かった、もうお別れの時間だと。
もうみなとがあと何秒ここにいるかわからないと
自覚する。
あさひは思わず口を開いた。
「…お兄ちゃん、大好き。」
もっともっとキラキラは濃くなり、だんだんみなとが見えなくなっていく。
みなとは顔をほころばせて、言葉を返した。
「ありがとう。。。僕もあさひのことが大好きだよ。。。」
そして、、、ついにみなとは見えなくなった。
気づくと、あさひは公園のトンネルの前で
空を見上げていた。
もう、オレンジ色の空ではなく、赤紫の空へと変化している。
雲一つない綺麗な夕焼け空を見上げながら、
あさひは思った。
みなとと晴れの日しか遊べなかったのは、
きっと、雲があったら雲が邪魔で、空から降りてこられなかったからだ。
だからみなとはいつも言っていたのだ。
「明日晴れたら、遊ぼうね。」
と。
8/2/2024, 12:00:02 PM