卵を割らなければ

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すれ違う瞳

 海の底。
 右目と左目が転がっていた。
 それだけがあった。
 もとは人間の瞳であったものだ。
 人間の一部分であったとき、二つはいつも同じものを見ていた。
 景色を、ものを、人を、映してきた。

 しかし。
 お前とは合わない。
 それは人間の一部だったときからなんとなく、くすぶっていた感情だった。
 左目が右目に対し、そう思っていたのだ。
 右目の視力は低かった。
 だから左目がその部分を補ってやった。

 いや違うだろ。右目が言った。
 コンタクトレンズをはめて矯正してただろ?
 それに右目だけが矯正されていたわけではないのだ。
 左目だって裸眼でいられるほどの視力はないのだから。
 どんぐりの背比べなのである。

 もうお前とは別れる。
 左目が言った。
 ああけっこう。
 右目が言った。

 二つは別々の方向に転がっていった。
 生まれたときから共にいて、初めて行動を別々にしたのだった。


 海の中は美しかった。
 興味の趣くままに、左目は転がっていく。
 しかしすぐに違和感に気がついた。
 視界が半分しかないのだ。
 ――これは。

 今まで全く気にしてこなかったが、右目が映すものを左目も共有していたのだった。
 これは不快だった。
 よく見えないので岩にぶつかったり、海藻に刺さったりと、あちこちが傷だらけになってしまった。
 主のいない貝殻を見つけて、なかに隠れて休んだ。右目のことを考える。

 あいつはどうしているのだろう。
 おれがいなくなって、やはりおれのように視界がきかず難儀してるんじゃないだろうか。

 左目は右目を探すことにした。
 広い海のなか、欠けた視界で小さな眼球を探すのは、とても難しいことのように思えた。けれど左目は、あの日右目と別れた場所まで戻ってくると、右目が進んでいったと思われる方向に転がっていった。


 そして、右目を見つけた。
 あっ!
 右目は恐怖にすくんでいた。
 右目はそのとき確かに左目を見たのだった。そして左目には、右目の映しているものが、欠けた視界に映り込んできたのだった。それは大きな闇だった。
 助けに入る間もなかった。

 大きな魚が口を開けて、右目を飲み込んだ。
 左目は目の前を横切っていく魚の目を見た。悠々と泳いでいく魚の目からは何の感情も読み取れなかった。


 右目の消滅とともに、左目もまたただの物体と化した。
 もうすでに、人間の一部でなくなったときから、二つは単なる物体でしかなかったのだ。全ては海が見せた幻に過ぎない。

5/4/2025, 12:25:40 PM