──お前を待ってた!
この状況はまずい。とてもまずい。もう無理かもしれない、間に合わないかもしれない。でも諦めたくはない。諦めたら終わりだ。どうにかしなければ。
冬が近いってのに、制服のシャツが汗で湿っていく感覚がする。その冷たさにぶるっと体が震えたところで、一つ方法を思いついた。
鞄の中を漁って携帯を引っ掴む。連絡先の一番上にある名前を押しながら魔力を流せば、呼び出し音が鳴り始めた。
「出てくれ……!」
不意に音が途切れる。どうだ、と画面を見つめる。
『もしもし』
聞き馴染みのある声が耳に飛び込んできて、ほっと胸を撫でおろす。これでどうにかなるかもしれない。
「いきなり悪い、ちょっと頼みがあって」
『なんだ』
「その……」
『歯切れが悪いな、言いにくいことか』
「……っなあ、一昨日配られた魔法史の課題やってある?」
『……』
無言。
「やってあったら見せてくれねえ……?」
『……』
長い沈黙の後に、小さくため息をついた気配がした。やっべ、怒らせたかな。
『見せてやるから、図書館に来い。いつもの席だ』
「マジで!?」
冗談抜きに救世主の声かと思った。
『それにしても』
「ん?」
『お前が課題を忘れるとは、珍しいこともあったものだな』
「あー、いや、それは」
理由があるにはあるけど、言うのは大分恥ずかしい。口にするかどうか迷っていると、促す声がする。
『何か理由があるのか』
「まあ」
『なんだ』
「……週末、二人で一緒に出かける約束してるだろ」
『ああ、そうだな』
テスト前から約束していた買い物の話だ。付き合ってるからデート、になるのか? 必需品だけの買い出しで終わる気がするけど。
『それがどうかしたか』
「んー、それが楽しみすぎて浮かれてたら、課題のこと頭からすっぽ抜けた」
さすがに理由が情けなさすぎる。呆れられるかも。
「おーい……?」
恐る恐る電話の向こうに呼びかけると、バタバタと慌ただしい音がした。ついでに小さな呻き声も。
「どうした、大丈夫か?」
『なんでも、ない』
「本でも落としたかー?」
『落としていない』
「じゃ、今の音は」
『階段から落ちかけた』
「そっちの方が一大事だろ」
『問題ない』
本当か? 心配ではあるけど、これ以上問いただしても話してくれそうにないな。
「てか、今更だけどお前図書館にいるんだろ、話してて平気か?」
『外に出ている』
「あ、そりゃそうか」
『良いから早く来い。夕食の時間になるぞ』
「やべっ。すぐ行くわ」
『ああ』
机に広げていたプリントを鞄に突っ込みながら、ふと気になったことがあって口を開く。
「なあ、このプリントって終わった人から提出だったよな? なんでまだ持ってんの?」
『そ、れは』
こいつが直前で課題をやるような奴には思えない。その日のうちに埋めて翌日に提出しそうだ。
『お前と、同じ理由だ』
「え?」
プツン。聞き返す前に通話が切れて、呆然と携帯を見つめる。今、なんて言った?
「おれと、おなじ?」
ってことは、つまり向こうも買い物、もといデートを楽しみにしているということで。じわじわと顔が赤くなっていくのを自覚して、慌てて頰を拭う。
「どんな顔で行けば良いんだよぉ……」
鞄を手に持って、座り込みそうになる足を無理やり部屋の外へ向ける。行かないと言う選択肢はない。未提出者に待ち受けるのは別日の補習だ。出かける日に被りでもしたらたまったもんじゃない。
「あー、くそ」
せめて、目的地までは少し歩くから、それまでに廊下の冷たい風で熱い顔が覚めてくれたら良い。
熱を持つ頰をぱたぱたと手であおぎながら、わざと遠回りする方の道へと歩みを進めた。
(一筋の光)
11/5/2024, 11:11:16 AM