sairo

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落ちる。
どこまでも深く。深く。
暗闇。鼓動。水音。
微睡みの中。水中でも感じる浮遊感に。

『ごめんなさい』

聞こえる謝罪の言葉に。

あぁ、またか。と。
幾度目かの悪夢に辟易しながら。
意識が浮上するのを、刹那に訪れる衝撃を、ただ待った。



「…っ!」

痛みと共に覚醒した意識に、詰めていた息を吐く。

「あ。おはよー」

気の抜けた挨拶に視線を向ければ、にこにこと笑う少女の姿。

「夢。まだその姿なんだ」
「んふふ。ちょっとね」

会う度に姿が変わる夢には珍しい。気に入ったのか同じ姿を取り続ける夢はとても上機嫌だ。

「大丈夫?またいつものヤツだね」
「まぁ、ね。コレばっかりは仕方ない」

苦笑し、立ち上がる。
足、腕、胴、首、頭。自身の体を確認する。左腕の葛《かずら》が少し解けてしまっているが、それ以外は問題なさそうだ。

「ソレ、抜いてあげられたらいいのに」

解けた葛を巻き直しながら、少し悲しげに夢は俯く。
夢はいつも優しい。気にかけてくれているだけでもありがたいというのに。

「死の記憶《悪夢》がないと身体を保てないからね。しょうがないよ」

どうしようもない事なのだ。
あの記憶がなければ、わたしはわたしを認識出来ない。例えそれが最期の記憶だったとしても。

「鬼に成れればなくなるのかなぁ。花さんの記憶はなさそうだからなぁ」
「どうだろう?でも代わりにあの方はずっと罪の意識を持っているから」

二度の子殺しの罪を。
一度目は堕した。二度目は胎の子ごと身を投げた。
その罪の意味を抱いていたが為に、彼女は人として終わる事を許さず鬼と成った。

「そもそも、わたしは鬼に成れないよ」

鬼とは罪の象徴だ。
ならば、罪を知らないわたしは鬼には成れない。

「そうだよね。でもこのままは苦しいよ。ねぇ、一番目のように産まれ直せないの?」
「やった事ないから分からない。それに一番目みたいな執念は持てないよ」

執念。あるいは執着。
母から産まれる事だけを望んでいた一番目を思う。
他の妖を巻き込んで、認識すらも変えて産まれたその執念は、わたしには存在しないものだ。
生も死も、ただ受け入れるだけだと思っているわたしが、今こうしてここに中途半端な存在でいる事が不思議で仕方ない。

「ありがとう。いつもごめんね」
「ごめんはいらないかな?ありがとう、お姉ちゃんがいいな」
「え、お姉ちゃん?」

しっかりと巻き直された葛のお礼と、手間をかけさせている事の謝罪をすれば、笑ってお姉ちゃんを呼びをお願いされる。
お姉ちゃん。何故とは思うが、期待した目で見られては拒否する事は出来るはずもない。

「ありがとう、お姉ちゃん…?」
「どういたしましてっ!」

とりあえず求められるまま口にすれば、満足げに頷かれる。

「一番初めに見つけたのは夢《わたし》なんだから、ちゃんと最後まで面倒みるつもりだよ。何でも言ってね」

にこにこと、満面の笑みを浮かべ。優しく葛を撫でる夢に、そういえばわたしに葛を巻いたのは夢だったと思い出す。
息絶える間近の胎児に葛を巻いて人の形を作り、こうして生かしたのは夢だったと。

お姉ちゃんに浮かれている夢を見ながら。どちらかといえば、お母さんの方が状況的にあっているのではと。
胸中で、そっと呟いた。




20240619 『落下』

6/19/2024, 4:33:39 PM