「何これ」
彼女の言葉に、口には出さずとも同じ事を思う。
色鮮やかに彩られ、飾り立てられた藤。
毛糸。色紙。所々に見える赤い実は南天だろうか。
誰かのいたずらだとは考え難い。この村に住む者は皆、藤に惹かれ帰ってきたのだ。
花の咲かぬ藤が、いつしか再び花を咲かす日が来る事を、皆心待ちにしている。
その藤を無意味に飾り付けるなど、出来るはずが。
「おや。見られてしまったか」
聞き覚えのない声がした。
視線を向ける。幼さを残した、少年とも少女ともつかぬ美しい容姿の子供が立っていた。
その腕には、種々の木の実や落ち葉の入った籠を抱えている。
「驚かせようと思ったのだが。残念だ」
肩を竦め、ゆったりとした足取りで、子供は藤へと向かう。見知らぬ子供。だが、記憶の片隅に微かに残る面影が子供に重なる。
愛でられる事を当然とし、面倒事を嫌う。あれは誰であったか。
不意に、隣から重苦しい溜息がした。
「何をしているの。藤」
「何だ。覚えているのか」
目を瞬き彼女を見る子供に倣い、隣を見る。
僅かに顔を顰める彼女に、よく似た誰かの面影が重なり見え、消えていく。
「思い出してしまったのよ。これは一体何」
「今日は聖なる夜だと聞いたからね」
「クリスマスイブね。それがどうしたの」
親しげに話す二人に、懐かしさを感じた。
呆れながらも優しく微笑む彼女と、自由な子供。
漸く帰ってきたのだと、この地で何度も思った感情に目を細めた。
「木を飾り立て、人の子の目を楽しませる日なのだろう。まだ咲けぬ藤《私》を愛でてくれる、二人を楽しませようと思ったのさ。途中で見つかってしまったが」
「藤をクリスマスツリーにするなんて、大分可笑しな事ね。楽しむよりも呆れてしまったわよ。全て思い出してしまうくらいには」
「驚かす事が出来たのなら、準備をした甲斐があった」
「相変わらずね。藤」
くすくすと鈴の音を転がすような声音で彼女は笑う。
「変わらないでいてくれて、安心したわ。私を覚えてくれていた事には驚いたけれど」
「鈴は特別だからね。妖が人の子に生まれるなど、初めての事だ。人の子の思いの強さには驚かされるよ。なあ、宮司」
笑いこちらを見る子供に、眉を寄せる。同意を求められても、二人の会話の内容は理解出来ない事ばかりだ。
藤。妖。人。記憶。
意味が分からない、と返そうと口を開き。
だがまったく別の言葉が溢れ落ちた。
「俺はまだ宮司ではないのだが」
理解できぬそれに、違和感はない。以前もこんなやりとりをしていたと、口元に笑みが浮かんだ。
「まだ言っているのか。藤《私》の手入れをするのはお前しかいないのだから、宮司で構わんだろう」
「だが」
「相変わらず堅苦しい男だね。何度繰り返しても変わらないな」
呆れたように笑われ、どうしたものかと彼女を見る。
「いいじゃない。白杜《あきと》が宮司だって、皆思っているわ。認めていないのは白杜だけよ」
「鈴も言っているんだ。それにお前が宮司の子として生き、死んだのは何百年も前の過去の事だぞ」
そこまで言われてしまっては、肯定するしかない。
嫌ではないが落ち着かぬのは、子供の言うかつての己が宮司ではなかったからだろう。
断片ではあるが、思い出した事がある。
かつて同じように、二人と共に生きていた事があった。
神楽鈴の付喪であった彼女と、藤の化身。
藤に愛され、藤を愛し。
そして何よりも深く、彼女を愛していた。
「鈴音《すずね》」
「どうしたの」
彼女の名を呼ぶ。
しかし続く言葉を迷い。何もないと首を振る。
伝えたい言葉があった。だがそれは、今の己には意味のない言葉でもあった。
かつては妖であった彼女は今、人として隣にいる。今更、彼女に望む必要はない。
「変な白杜」
微笑んで、寄り添う彼女の肩を引き寄せる。
冷えた体を暖めるように、その華奢な身をかき抱いた。
「随分と大胆なものだね。あの時より思っていたが、お前達は本当に夫婦のようだ」
楽しげな声に、はっとして視線を向ける。
穏やかな表情をした、藤の化身である子供と目が合った。
慌てて彼女を離しかけるが、彼女は胸元に擦り寄ったまま、離れる様子はない。
彼女の視線を向ける。くすり、と笑う楽しげな彼女と目が合った。
「私は夫婦になってもよいのだけれど。白杜は何も言ってはくれないわね」
「そうなのか。早く契ってしまえばよいものを」
「今は私よりも藤の方が大切なのよ。焼けてしまうわ」
彼女の言葉に、藤の化身の咎めるような視線が刺さる。
何か言うべきではあるものの、今のこの場では何を言っても意味をもたないだろう。藤の化身の前で敢えて言葉にする彼女の心の内を察して、すまない、と謝罪の言葉が漏れた。
「鈴音」
「なにかしら」
名を呼べば、悪戯に笑う少女の目をして彼女が己を見る。
眉を寄せる。仕方がないと、一つ息を吐いた。
「この場で促されて言うものではないが…俺と夫婦になってくれないか」
「確かに格好はつかないな」
「そうね。でもまぁ、今夜はクリスマスイブだもの」
「聖なる夜には、奇跡とやらはつきものだな」
藤の化身と彼女が頷き合う。
仕方がないわ、と溜息を吐いて。彼女は藤の元へと歩み寄る。
くるり、と振り返り己を見る彼女は頬を染め、微笑む。
「特別に、その望みに応えてあげるわ」
それだけを告げて、彼女は藤の化身の抱えた籠の中から木の実を取り出し、藤を飾り付けていく。地に籠を置いた藤の化身も、同じように紅葉を藤の蔓に絡ませ始めた。
「何を、している」
「藤を飾り付けているの。白杜の告白は私が言わせたようで、面白くないもの。雰囲気だけでも良くしたいわ」
「そうだな。あれではさすがに鈴が可哀想だ」
「すまない」
視線を向けられる事もなく吐き出される二人の愚痴に、謝罪しか出てこない。
己の謝罪など聞こえていないかのような二人は、笑い合いながら藤を飾る。幻想的な藤なるものを目指し話す二人を見ながら、声には出さずに彼女の名を呼んだ。
彼女を愛していた。否、愛している。
鈴の音のように澄んだ声も、花開くように笑う姿も。何も言わずとも己を理解しているその聡明さも。
誰よりも、何よりも愛しい。
目を閉じる。彼女の声を聞きながら、緩く笑みを浮かべた。
「愛している、鈴音」
「その言葉は、私の目を見て言って欲しいものね」
思っていたよりも近く聞こえた彼女の声に、目を開く。
手を伸ばせば触れられるほど側に、彼女がいた。
藤の化身の姿はない。飾り立てられた藤の蔓が、風もないのにゆらりと揺れた。
「藤から伝言。次の春に、一房だけ藤の花を咲かせてくれるみたいよ」
伸ばされた彼女の腕を引き、抱きしめる。
己の名を呼ぶ彼女の鈴の音のような声を聞きながら、彼女の顎を掬い、目を合わせた。
「鈴音。愛している。藤の花が咲いたならば、誓う言葉をもう一度言わせてくれ。藤の花を見て微笑む、美しいお前に未来を誓わせてくれないか」
彼女には藤の花がよく似合う。
こうして赤や緑に飾られた目の前の藤よりも、淡く色づいた藤色が、彼女の美しさを際立たせる事だろう。
「馬鹿。本当に酷い男ね…でもそんな酷い男を愛してしまった私も、同じようなものかしら」
頬を朱に染めた彼女の手が頬に触れる。
「ねぇ、白杜。今夜はクリスマスイブよ。奇跡の他にプレゼントがほしいわ」
くすりと笑う。
それに笑みを返して、望まれるままに彼女の体を強く抱き寄せ口付けた。
20241225 『イブの夜』
12/26/2024, 8:55:20 AM