sairo

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――拝啓、十年前の私。

夕暮れの図書館。偶然見つけた手紙の書き出しに、目を瞬いた。

「十年後じゃないんだ」

思わず声に出てしまい、慌てて辺りを見回した。
今日は珍しく、図書館には誰もいない。私語を咎められないことに安堵して、手にした紙に視線を落とす。。
読んでいた本の最後のページに挟まっていた四つ折りの紙。誰かが挟んだまま忘れたのだろうそれに何が書いてあるのかが気になって、つい開いてしまった。
丸みを帯びた字は女子のものだろうか。どこかで見たことがあるような気がするその字を不思議に思いながら、もう一度書き出しの文字を見る。
十年前。何度見ても、その文字は変わらない。
書き間違いだろうか。それとも過去の自分に当てた手紙なのだろうか。色々と考えながら、続きの文字を指で追い始める。
誰かの手紙を盗み見ることの罪悪感は、好奇心に負けて萎んでしまっていた。

――まず最初に、友チョコという流行りには乗らない方がいい。肝心の想いを伝えたい人に、正しく伝わらなくなってしまうから。

自分自身に当てた手紙だからなのか、最初から遠慮をしない文字が心を抉る。昨日友達とチョコを交換し合い、その流れで彼に本命のチョコをあげたけれど反応がいまいちだったことを思い出した。
この手紙の主も、同じだったのだろうか。恥ずかしくて誤魔化したチョコに込めた想いが、相手に届かなかったのだろうか。
切ない気持ちに眉を寄せ、続く文字を追っていく。

――次に、相手の優しさを当然だと思わないで。彼が優しいのは、あなたを大切に思っているから。誰にでも優しい訳じゃない。

きゅっと唇を噛み締める。
彼はいつだって優しかった。他の人にもそうなのだと、自分が特別だからではないのだと、そう思い込もうとしていた。
自分に宛てられた手紙ではない。それは分かっていても、どうしても彼のことが思い浮かんでしまう。
もしも彼の優しさが特別なのだとしたら。期待しても、いいのだろうか。

――自分の気持ちを誤魔化して手を離していると、本当に彼が離れていく日がくる。それが嫌なら、勇気を出して向き合わないといけない。

文字を追っていた手を握り締めた。
彼が離れていってしまう。その言葉の意味を、すぐには理解できない。
彼とはいつも一緒だった。幼い頃、いつも遊んでいたのは彼とで、学校で他に友達ができた後でも、彼と会わない日はなかった。
いつも一緒の帰り道を、一人で帰る時がくる。
当たり前だ。変わらない関係はないのだから。この先も無条件で彼の隣にいられるはずはない。
別れの予感が胸を苦しくさせる。息がうまく吸えず、頭がくらくらした。

「勇気を出せば……」

言葉にしてみるものの、それはとても困難なことのように思えてしまう。途方に暮れながら最後の文字に視線を落とした。

――最後に、後悔はしないで。未来なんて、きっといくらでも変えられるのだから。だから何でもすぐに諦めて、後悔するのだけは止めてほしい。

後悔の文字から目が離せない。
自分もこの先、後悔するのだろうか。そして過去の自分に宛てて、手紙を書くのかもしれない。
深く息を吐いた。手紙を戻そうと四つ折りにして、本に挟む。

「――あれ?」

手紙の隅に、小さく殴り書きのような少し乱れた文字が書かれているのに気づく。この手紙の文字とは違う、見慣れた字。
目を見開いて、文字に触れようとした時だった。

「ここにいたんだ。そろそろ閉館時間だよ」

彼の声がして、咄嗟に本を閉じ振り返る。いつもと変わらない笑顔を浮かべて、彼が近づいてきていた。

「それ、借りるなら早く手続きに行かないと」
「ううん、大丈夫。丁度読み終わった所だから」

曖昧に笑って、本を返しに棚に向かう。心臓が煩いくらいに跳ねて、落ち着かない。
ちらりと見る彼に、変わった所はない。少なくとも自分にはそう見える。それなのにこんなにも苦しいのは、手紙を読んでしまったからだろうか。

「どうしたの?」

本を返しても戻らない自分を不思議に思ったのか、彼が首を傾げて近づいてくる。図書館の静けさがやけに重たく感じる。まるで世界に二人だけ取り残されてしまったような心細さに慌てて頭を振り、何でもないと笑って彼に駆け寄った。

「こら、図書館では走らない」
「ごめん。早く帰りたくなっちゃって」

溜息を吐く彼が手を差し出し、それに迷いなく自分の手を重ねる。繋いだ手が温かい。いつもと同じ、彼との距離。
そう思うのに、息苦しさは続いている。不安が消えなくて、いつもより少しだけ強く彼の手を握った。
彼がこちらを見る。笑顔で誤魔化しながら、繋いでいない手をこっそりと握り締めた。

「何かあった?いつもと違う気がする」
「そう?変わらないと思うけど……ちょっといつもと違うジャンルの本を読んだからかな」

偶然手に取った本の内容など、とっくに頭から抜けている。
代わりに頭の中を占めているのは手紙の内容と、殴り書きの一文だった。
右上がりの少し崩れた字。それは確かに自分の字だった。
書いた覚えはない。そもそもあの手紙も、偶然本を手に取らなければ気づくこともなかっただろう。

――嘘つき。

たった一言。それが何を差しているのかは分からない。
十年前の自分自身に宛てたということか。手紙の内容自体が嘘なのか。
誰が嘘つきで正直なのか。何も分からないから、何も言えない。

「あの、ね。聞いてほしいことがあるの」

ならば嘘つきを探すよりも、嘘にしたくないものを本当にすればいい。

「昨日あげたチョコなんだけどね――」

勇気を出して彼に告げる。そうすれば、少なくとも自分の想いは伝わるから。

誰もいない、夕暮れの帰り道。
いつもと変わらないはずの彼との関係に、一歩だけ踏み込んだ。



20260215 『10年後の私から届いた手紙』

2/16/2026, 8:44:32 AM