『花畑』
塔風車のもと、一輪の花を手に歩く人の姿が見えた。
私はふと声を上げた。いや、上げようとしたその次には人影は消えていて、喉元にとどまった。
あれは誰だろうか。私はなぜ声を掛けようとしたのだろうか。
思えば、私はなぜこの懐かしい花畑に足を運んだのだろうか。
あの人が胸元に抱えていた花を知っている。
──ダリア。
私は回想した。
雲隠れを繰り返す満月の鬱陶しい夜のこと、あの花畑に立つ。数多の色と香りに包まれ、誰一人もいない空間をふらり散策するのが好きだった。
風車の佇む小高い丘に座り一望していると、傍らに寂しくも凛々しい純白の花が咲いていた。
静寂の中、私はその花と不思議な夜を過ごした。時折、彼女――今ではそう呼ぶのが相応しいように思う――は、華奢な体を揺らしてみせた。風は吹いていなかった。後に、その花はダリアという名であることを知った。
それ以来、彼女と私が邂逅を果たすことはなかった。ダリアは姿を消してしまったのだ。
気づけば、あの花畑に行くことも少なくなっていた。
今朝は久々の晴れだった。私は半端に開いたカーテンの隙間から覗く陽光に目を覚ました。散歩の用意を整えて玄関を出ると、庭の隅に浮いた色を認める。近づくと、それはあの夜に出会ったダリアだった。
私はその姿をじっと見つめ、しばらくして歩き出した。
花畑に着いた。あの夜から半年が経っていた。私は消えた人影を追って塔風車のもとへ駆け寄る。そこには幾人かの作業員がいた。
聞けば、風車は老朽化のため、取り壊されるらしい。
単調な心持ちで帰途に就く。家に辿り着いた私が唖然としたのは、先刻のダリアを持ったあの人が庭にいたからだ。今は手に何も持たず、凛と立ち尽くしている。
人と形容することを躊躇うほど神秘的な雰囲気を纏った、しかしやはり人の形をした不思議な生命が、そこにあった。
その人は優しい笑みを浮かべたかと思うと、たった一言を残し消え去ってしまった。
私はその言葉を幾度か反芻すると、庭の隅に植わった白のダリアのもとに寄り、こう告げた。
「こちらこそ」
9/18/2024, 5:28:42 AM