「目に入るとついつい手にとっちゃうんだよねぇ」
そう言って、姉貴が炬燵の上のみかんに手を伸ばす。アンタもうちょっとあっち行ってよ、と炬燵の中で脚を蹴られる。俺のほうが先にここにいたっつうのに。相変わらず気が強いねーちゃんだわ。
「アンタ休みいつまで?」
「3日」
「ふぅん。あたしと一緒だ。いつ帰るの?」
「2日の夜」
「それもあたしと一緒じゃん。なーにー、彼女と出掛けたりしなくていいんだ?」
「別に。姉ちゃんだって――」
やべ。危うく言うとこだった。この手の話題を姉貴にするのはタブーだってこと、俺以外もみんな分かってる。わずかに吃った俺の心中を察したのか、姉貴は「お母さん手伝ってこよっと」と言ってキッチンの方に行ってしまった。
本当は、こんなオレンジ色のドレス着るはずだったんだよな。目の前のみかんの山を見て思い出すのは半年前のこと。姉貴は婚約破棄された。式の日取りも料理もドレスも何もかもが決まっていた。なのに相手は忽然と姿を消した。最初は、何かの事件に巻き込まれたのかと思って姉貴は物凄く心配した。警察にも相談したけど事件性は無し。じゃあなんで、と思ってた矢先に姉貴のもとに届いたカード決済の書類の数々。気付いた時にはあとの祭り。アイツは盗んだ姉貴のクレジットカードで買い物しまくっていた。折角貯めていた結婚資金も全部パー。ようやくこの事実を理解した時の姉貴の顔なんて、もう。今でも忘れられないくらいやつれていた。
一生懸命伸ばしていた髪をばっさりと切り、クレジットを全解約し、結婚式場に違約金を払い(この金の出どころは多分、父さんだと思う)、姉貴は人が変わったように仕事しか見なくなった。世の中信じられるのはお金だけだよね。あの時そう呟いた姉貴はもう泣いてなんかいなかった。強いなぁと思った。
「ねー、ちょっと。これ持ってって」
キッチンの方から俺を呼ぶ声がする。立ち上がって見に行くと、4人分の皿や箸やコップをのせたお盆を渡された。それを見て俺は思い出す。帰省した時に持ってきた荷物の中から紙の袋を取り出し姉貴のほうへ持ってゆく。
「ん」
「なにこれ」
「土産。俺の職場があるビルん中に新しく北欧雑貨の店が入ったから行ってみたの」
「あら素敵じゃない」
姉貴に渡したのに、横から母さんが奪って袋を開ける。中には4つのマグカップが入っていた。
「おそろいのもの買うなんて、あんたもまだまだ可愛いわね」
「うるせー」
母さんの茶化しを適当に流して、4つのうちの1つを手にする。オレンジ色したマグカップ。姉貴の好きな色。本当はあの日、姉貴は幸せになってこの色のドレスを着る予定だった。姉貴にとっては特別な色を俺は敢えて選んだ。もしかしたらあの日を思い出させてしまうかもしれない。そんな不安もよぎったけど、好きなものは好きでいてほしいと思ったから選んだ。そしてさっき、みかんを嬉しそうに取った姉貴を見た時、やっぱりこの色にして正解だったと確信した。
「これ使ってくれよ」
俺がずいと差し出したそのカップをじっと見つめてから、姉貴はふっと笑った。そして両手で受け取ってくれた。
「ありがと。じゃあさっそく、ココアでも作ってこれで飲もうかな」
テーブルの上にオレンジ色のマグカップとみかんが並ぶ。ところで今夜はすき焼きらしい。穏やかに今年が締めくくられそうだ。
12/30/2023, 6:51:02 AM