薄墨

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白いうなじ。
白魚のような指が、鱗粉まみれの蝶の翅の欠片を摘み上げる。

窓の外には炎天下が広がっている。

暑い日に晒された花は、ぐったりと首を窄めている。
花びらは皺を刻んで、窓の桟を睨んでいる。

蝶の飛び方には、作法がある。
蝶の翅は、空気の粒を捉え、半円を描きながら柔らかく舞う。
蜘蛛の巣を躱し、蟷螂の斧を掠めて、ひらひらと。
蝶は、長年の先祖が積み上げ学んできた気品と行儀を守らなくては、飛べない。

花の咲き方には、作法がある。
固い蕾を作り、半円を描きながら、徐々に、柔らかく綻ばせる。
硬い大地を割り踏み締め、死体を養分に吸い上げて、そよそよと。
花は、長年の先祖が学んで積み上げてきた気品と行儀を守らなくては、咲けない。


深窓の娘もまた、そういうものだ。
気品と行儀を守ること。
穏やかな顔で、迫り来る悪意や嫉みを躱し、嫌がらせを掠め、感情の肉塊で作られた社会を割り踏み締め、複雑なコミュニケーションを養分に吸い上げて、見目を潤しながら、優雅に世を渡る。
親が、祖父母が、継がれてきた家系が、学んで積み上げてきた世を渡る術を守るのが、蝶よ花よと育てられてきた、深窓の娘の強みであり、生きる術。

形の良い顎が、軽く揺れ、伏せた睫毛がついと上がる。
白いうなじに髪が垂れ、ゆっくりと首を回して、姉がこちらを向く。

虫も殺せないような、きめ細やかな肌で、姉は足掻く蝶の死骸を摘み上げて、柔らかく笑っていた。

「お姉様」
私は言った。

「…蝶は捕まったわ。花は枯れたわ」
姉の唇から、柔らかな喜色に包まれた声が溢れ出た。

「そうね」
私は頷いた。
「お姉様はこの国の娘の中で一番優雅な蝶よ。私たちが最後まで生き残るのだわ」

「そうね」
姉は、恍惚に潤んだ声を転がした。
「なかなか楽しい蠱毒だったわね。人間は悪趣味だわ」

「あら」
私は笑った。
花のように努めて、穏やかに。
「蠱毒で生き残った蝶は、いずれ翅が抜けて人になるのよ、お姉様」
それでも語尾は少し弾んでしまった。

「ふふ、それは貴女も同じでしょう?」
姉の声は、蝶の翅の動きのように艶かしく、優美で、我が姉ながら完璧だった。
「貴女は温室の中の全てを勝ち取った花。花はいずれ実をつけて、人になるのでしょう?」

蝶よ、花よ。
蝶よと育てられた美しい虫は、いずれ壺の中に落とされる。
花よと育てられた美しい植物は、いずれ温室の中に押し込められる。
一流の家系と育ちを持つ人は、いずれ一流の感情と欲望の社会に混じって、それ相応の対価を求められるのだ。

蝶よ花よ。
美しく散り、美しく枯れ、美しく燃え尽きよ。
そして最後に残った一羽と一輪は、いつまでも、なによりも美しくあれ。

私たちの家の秘伝は、そう告げている。

私たちは最後の一羽。最後の一輪。

窓の外には炎天下が広がっている。

8/8/2024, 12:47:20 PM