永身未来

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死なねば。死なねばならん。私のために、死なねば。そう決意したとて、私の足は動くことを拒んだ。まだ、その時では無かろうと。震える足は私をその地に止まらせる。高く、高く、天にまで近いその土地で、下に、下に、海底まで落ちようと、私は思った訳だが、いかんせん、足がそれを無視する。仕方がないと諦める気も起きず、心だけが大きく膨らんでくる。こめかみあたりに、つぅと、汗がつたう。瞳から、一滴の涙がこぼれる。死なねば。そう思うごとに、生きねばと拍動が力強く鳴り響く。矛盾する思考と行動がじれったく、私は目をかっぴらき、手に力をめいっぱい入れ、海をも割る声でひとつ、叫んだ。
「死ななきゃ。死ななきゃ駄目なんだ。死ななきゃ、死ななきゃ、そうじゃなきゃ、駄目なんだ、ああ、ああ、死ななきゃ。」
叫んだはず。叫んだはずだのに、草の一つも揺れなかった。それどころか、私自身の鼓膜さえ、その声を聞き取れなかった。私は、そんな消えかけの叫びに、目がこぼれ落ちそうなほど驚いたのだが、拍動は変わらずどぐん、ばぐんと大きく跳ねている。
空は黒く、海は大雨で荒れ狂っている。白波が荒れ狂う海から逃げよ逃げよと叫んでは飛び散る。空から降る大粒の水は、私の髪や、足や、手、それから服をびしょ濡れにする。その他にも、地面に生える草から遠くの方に見えるビルの群生地まで、雨は平等に包み込んでいる。私は、その幻想的ともとれる、現実味のあるこの景色を背景に、生きるをやめる。
私は何せ、富豪な出であるため、傲慢なのである。例えば、私が人に、ココアを頼む。そうすると、砂糖、チョコソース、マシュマロまでのせた豪華なココアが出てこなければ、私は口にしない。私は我儘なのである。であるために、私は他人から好かれない。私と一度話したことがある者は皆、口を揃えて、常に見下してくるので腹が立つと言った。私は人に好かれなかった。そんな私でも、相手をしてくれる人はいた。それは、背の低い男であった。男は、私がする話を、目を合わせて、相槌しながら聞いてくれた。時に笑い、時に叱られ、まさに理想の学友であっただろう。だが、先日、その男を怒らせてしまった。男の親が死んだらしい。死因は病死であった。もともと、余命はわかっていたらしい。私は泣きじゃくる男を元気付けようと、珍しく気遣った訳だが、話終わるのを待たずに、視界がぐりんと、横に向く。遅れて、音がなる。私の言い方が癪に触ったらしい。私は初めて、人に頬をぶたれた。私は初めて、友にぶたれた。初めての感覚であった。人に暴力をふるわれるのも、頬にじんじわと広がるいたみも。呆気にとられる私は、激昂した友に、"お前なんか死んじまえっ!!"と怒鳴られた。私は、初めて、友に死ねと言われた。

死なねば。

そう思ったのだ。誰にも好かれず、落ち込む友さえ寄り添い、元気づけることもできず、死ねと言われる始末。私は、潔く死なねばならんのだと、やっと、今更理解したのである。私は、生きている価値、利益、意味、何もかもがないのだ。だから、この地へやってきた。今では遠い故郷を目に浮かべ、浴槽に浸かるが如く、飛び降りようと。だが、実際はできずにいた。太陽が真上にあり、眩い快晴であった空は、いつの間にか夜に降る雨に打たれていた。酷く寒い。私は、このまま朝を迎えてしまうのだろうかという恐怖と、死なねばと焦る気持ち、凍えるほど寒い夜風にあたり続けている。私の目は瞬きを知らず、私の手は、痛みを知らず、私の息は、酸素を知らず、時は過ぎていく。死なねばならんのだ。社会のゴミは、潔く死なねばならんのだ。私は自分に言い聞かせ、奮い立たせ、やっと重すぎる足を引きずり、空を歩いた。雨は止み、綺麗な朝日が差し込んでいた。どぼんと、気泡と共に海へ落ちる。海の静けさと、無機質な冷たさが、私を包み込む。私は、先ほどまで必死に、生きねばと動いていた拍動が、落ち着いているのに気づいた。きっと、生きることに疲弊したのであろう。鼓動は静かに、蠢いている。私の体も、それに比例するように、海の冷たさと静けさに、身を任せていた。ふと、海中から、海面を見る。朝日に照らされたマリンスノーが、綺麗だった。

12/13/2025, 8:29:37 AM