onion cryer 330

Open App

3. たかが石すら投げられない 愚か者にすらなりきれない



“本当は醜くて汚いくせに必死に取り繕う愚かな貴方には
ある昔話をしてあげましょう“

これは、ここよりずっと遠いお国のお話だ。
その当時ある重大な罪を犯した女は
善良な市民らによってイエス様の元に連れられた。
彼らは口々に言うこの女を罰してくださいと。
野次が飛び交う。声量は増してく。なのにイエス様が口を開くだけで波のように静まりかえる。簡単な人達だ。
そして、イエス様は静かに言った
「もしこの中で自分の人生において罪を犯したことがないと言うものは彼女に石を投げなさい」と。静かに響いたイエス様の声はきっと、市民ら全員の耳にちゃんと届いてたはずだ。
それなのに彼らの足元に転がった石は微かに揺れるだけ、
彼女に投げられる事はなかった。
そう、誰も投げなかった。正しくは投げられなかった。
人間誰しも罪を犯している。
人を断罪する権利など、さらさらないのだ。
もし彼女を断罪できる人がいるとするのなら
それは言わずもがな、ただ1人なのだろう。
と、ここまでが教訓。

けど、もし、例えば私がこの昔話にいたのなら私は彼女に喜んで石を投げつけよう。もう罪を犯しているのなら、ここでの嘘もまたこれまでと変わらないのだから。
ただでさえレッテルが消えないのだから事実は尚更。
そしてきっと愚かな者はまた愚行を繰り返す。
それをきっと影で笑いながら避難するのが貴方なのだろう?
その言葉を聞いて愚行を繰り返すのがきっと何も持ってない私なのだろう。ただ幸いなことにこの昔話に貴方は居ない。
そしてまた私という有り体ばかり気にした嫌な奴もいない
もし、過去に戻れるのなら?それがはるか昔でもいいのなら。
当時そこにいた誰かとして笑って石を投げつけよう。顔が潰れるまで何度も何度も、イエス様にやらされたとでも言おうか。

けど残念なことにここは昔でもなんでもない。いくら昔に貴方が居ようが居まいが関係ないくらい今でしかない。
目の前では愛嬌で成り上がったヒロインが演説を繰り返している。かつては人を虐げ笑う醜い女のくせに。
演説も終盤、隣の人が手を叩き賞賛の声をあげる。
その賞賛は波紋を広げて会場が熱量で湧く。
さて、足元には石がある。中くらいの石だ。人に投げるにはうってつけだろう。そんな石が私の足元を転がっている。のに
おかしいな。私は拍手をしている。私は賞賛の声を送っている
結局はそういうことか。

7/24/2025, 3:42:37 PM