イオリ

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たくさんの思い出

私の頭の中には、小さな郵便局がある。

錆びた看板に書かれた「記憶郵便局」の文字。窓口の奥では、小さな職員たちが忙しく動き回り、思い出を封筒に収めて、時には手紙に綴り、それらを棚に並べていく。

「幸せ」の棚には、日の光を浴びたような暖かな封筒が並び、「悲しみ」の棚には、しっとりとした湿気を帯びた封筒がある。すべての手紙が、きちんと分類され、私の中で静かに息をしている。

その日もいつも通り、郵便局は仕分け作業が順調に進んでいた。職員たちは慣れた手つきで封筒を開いて、記憶を読み取り、棚の中に整然と振り分けていった。

「今日はこれで最後だな」

ルーキーの職員が、運ばれた本日最後の郵便袋を逆さまにして、封筒の束を出した。勢いよく飛び出したせいで、ひとつの封筒がテーブルから落ちてしまった。

「おっと、いけね。ん、なんだ?これは」

床に落ちた封筒。それは明らかに他のものとは違っていた。端っこが焦げたように煤けて変色している。差出人も書いてない。何より、鼓動のようにわずかな脈動をしている。まるで生き物のようだった。

どうした、どうしたと職員が入れ代わり立ち代わり見にくるが、誰も拾おうとしない。

「おい、ルーキー。お前の担当だろ。お前が処理しろよ」

誰かが声を上げると、そうだ、そうだと職員たちが続いた。

「わ、わかりましたよ。もう」

ルーキーが怯えながら封筒を拾い上げる。手のひらの中でも、封筒の脈動は続いている。

「じゃ、じゃあ開けますよ」

一堂が息をのむ中、一気に封を切った。

「なにも、ない?いや、待て」

耳を澄ますと静かな波の音が聞こえた。封筒の中から流れていた。

繰り返す穏やかな波の音。次第に大きくなる。これだけか?と、職員たちが思った次の瞬間、波が分厚い轟音に変わった。何かがぶつかって崩壊する音。と同時に郵便局全体が鮮明な映像に包まれた。

落ちる看板、崩れ落ちた街。亀裂の入った道路。怪しい黒煙を上げる発電所。それらを見つめる人々。泣きながら、歯を食いしばりながら、瓦礫の中に手を伸ばす人々。

そしてその全てをいつも通り照らす朝日。手を繋ぐ人々の足元に芽吹く、小さな緑の葉。

職員のひとりが口を開いた。

「これは、悲しみの棚に入れるべき、だよな?」

「ちょ、ちょっと待ってください」

「なんだよ、ルーキー」

「全体的に悲しいけど、それだけじゃないじゃないですか。なんていうかこう、胸を打つ温かさ、っていうのもありますし」

「じゃあ幸せの棚か?」

いやいや、待てと、そこから局内で白熱の議論が始まった。

1日、2日、3日。1週間。まだ議論は終わらない。通常業務をこなしながら、同時にあの封筒をどこに振り分けるか、時間を見つけては話し合っていた。

結局ひと月、こんな日々が続いた。議論に疲れ果てた職員たちは、あす、最終的に多数決で決めようということになった。


「あした、か」

営業時間が過ぎた静かな郵便局で、ルーキーがひとり、例の封筒の映像を見返していた。

最初に届いた日からほぼ毎日、こんなふうに居残って、言葉もなく見返していた。

「それで?君の結論はでたのかね?」

声に驚いたルーキーが振り返ると、そこには白髪の局長が立っていた。

「あ、おつかれ様です」

「はい、お疲れ様」

局長がコーヒーを手渡した。

「ども、頂きます。いやぁ、実はまだ悩んでます。局長はもう決めましたか?」

「うん。悲しみの棚」

「そうですか。理由は?」

「当時、悲しかったからね。すごく。あの頃の振り分けは、ほとんどが悲しみの棚だった。だからあの封筒を見た時、直感的にわたしの中の振り分けはもう決まっていたよ」

「そうですか……」

「だからって君も同じ考え方をしなければならないってことはないんだよ。君は若いんだから。君は君の考えでいいんだ」

年老いた局長は、やわらかな優しい笑顔でそう言った。

「そう、ですよね。俺は俺のやり方でいいんですよね」

「うん」

「よし、決めました。俺、あしたは俺らしくやります」

ルーキーは力強く答え、コーヒーを一気に飲み干した。


翌日。

慌ただしく集合する職員たち。全員が集まったのを確認し、ベテラン職員が口を開いた。

「えー、では問題の封筒についてですが、さっそく多数決で……」

「はい、はい、ちょっと待ったぁ」

威勢のいい大声が飛び出た。みんなの視線の先に手を挙げたルーキーがいた。

「先輩方にいろいろ気を使わせちゃって、すいませんでした。でもこの封筒、元々は俺の担当なんで、俺が決めます」

そう言うと、ルーキーは周囲のざわめきを無視して歩き出した。

たどり着いた先には、先週、新調したばかりの棚があった。まだ未使用で封筒はひとつもない。

ルーキーはカバンからプレートを取り出し、棚の一番上に釘で打ち付けた。

「新しく棚を作ります。この棚の種類は希望。希望の棚にします」

そう言ったあと、例の封筒を金色のプレートが輝く希望の棚に入れた。

「っていうことなんで、みなさん、よろしくお願いします」

大声で、元気よくお辞儀するルーキー。

束の間の沈黙のあと、郵便局に割れるような拍手が鳴り響いた。


新しい棚に置かれた最初の封筒。くすんでいた部分が、ひっそりと光を帯びた。







11/19/2024, 12:05:02 AM