ハイル

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【子どものように】

 先に明示しておくが、ここに記す所在地名は仮名であることをご留意願いたい。

 私は先日の三連休で、人里離れた山奥の永寿(えいじゅ)峠と呼ばれる峠を訪れていた。
 永寿というとなんとも縁起が良さそうなものだが、この峠には少し妙な噂があった。
 夜になると、赤ん坊の声がそこかしこから湧き出すのだそうだ。
 私はその類の話が大の好物だったため、それなら、とすぐさまその現場へと赴く支度を始めたのだが、泊まった民宿のおかみからひどく心配された。「ほんまに行かはるんけ」と執拗に言われたが、結局懐中電灯片手に一人その峠へ向かったのだった。
 時刻は夜中の二時に差し掛かろうとしていた。さすがに十月の夜は冷え冷えとしており、もう少し厚着をしてくるんだった、と後悔した。
 秋風に吹かれて木々がざわめく音が聞こえる。所々で虫達がりぃりぃと鳴いていた。峠の中腹辺りまで登ってくると、目下にぽつぽつと民家を認め、ずっと奥には町の影が見えた。
 そんな中、どこからか先程まで聞こえていた秋の季節の音とは違う音が聞こえ始めた。私はそれを聞き逃さまいとするように耳を澄ます。

……おんぎゃあ、おんぎゃあ
……おんぎゃあ、おんぎゃあ

 赤ん坊の声だった。声、というよりは泣き声と呼ぶのが適切だろうか。その泣き声が、四方八方、至るところから湧き出している。地中深くから這い寄るように聞こえ出したその泣き声は、地面から徐々に登ってきて私の下肢に絡み付く。あまりにも気味が悪く、怖気が全身を走った。
 私は急いで峠を降ろうと足を動かす。最中にも泣き声は止むことなく聞こえるが、その中にさらに別の声が混じりだす。

……くふふ、くふふふ
……あはは、あははは

 これは、幼児か、それくらいの少年少女の笑い声だろうか。幼い笑い声が、木々の陰やそこらの草むら、先程まで私がいた峠の辺りから降り注いできた。
 私は全身全霊で峠を降った。もうその場にはいたくなかった。あの声を聞いているとどうにも苦しいのだ。気味の悪さももちろんだが、なぜだか悲しくなるのだ。
 峠の入口まで降りてくると、もう声は聞こえなくなっていた。ふと入口に、行きの時には気にもしなかった地蔵があることに気がついた。
 懐中電灯を当ててその地蔵を観察する。よくあるお地蔵様だ。灯りを顔のあたりに当てると、地蔵が子どものように、にたぁ、と笑みを浮かべたような気がした。

 後に聞いた話だが、昔、永寿峠は別の名前で呼ばれていたらしい。
 嬰児(えいじ)峠。嬰児とは、生まれたばかりの赤ん坊を指す言葉だ。
 その昔、この峠では口減らしとして小さい子ども、とりわけ赤ん坊が捨てられていたらしい。もちろん、親としても苦渋の選択であったのだろう。捨てられた子どもたちのせめてもの供養のため、峠の入口に地蔵を立てたとのことだ。

10/13/2023, 6:05:10 PM