「あれ、騎士様、この森にこんな場所ありましたっけ。えー…、なかった気がするなぁ」
「……」
十三段ごとに九十九折になって上へ上へ続いている階段。頂点はないのか、雲の靄の向こうに向かっているみたいだ。
どこに続いているんでしょうか、と訊ねてみても騎士様は振り向きもしない。
この森を歩いていたとき以外の記憶が遠い昔のようになっている。巨大で深い木々の連なりは人を寄せつけず、立ち寄った町では神々や化け物の領分だと聞いた。
鬱蒼とした暗い人の憂鬱や恐怖を誘う場所もあれば、燦燦と木々を照らし澄んだ水に生かされているような場所もある不思議なところだ。
騎士様は相変わらず僕とは打ち解けない冷静さで階段を三段飛ばしに淡々と前を行く。僕はアーティファクトの杖をぶつけてしまわないように気をつけて、小走りにあとを追った。
騎士様が九十九折のちょうど曲がり角で立ち止まった。絵になる。
すでに森の木々よりも高さがあるそこからは、遠くの山々や集落、その先の町までが判然と見渡せる。澄んだ空気が余計にそうさせているんだろう。
目を見張った。
遠くの山の手前、六本足の何か。ひどくのろまな足取りをするそれは、ふたつの山をまたぐ姿をしている。つるりと体毛は見えず、時折開く口にはびっしりと歯が敷き詰められていた。
至大のアーチを描く股下。その巨体は恐ろしいことに足許の森林を一つも傷つけずにいる。
「神、ですか…?」
「融合だ」
「御言葉ですね、考えてみます。あ、討伐対象ですか?」
「見ろ」
顎で示された先には子どもたち。
裾の広がったそれは上へゆくほど尖り、その天辺には頭があった。長い髪を垂らした、白い母性。子どもたちはそれに手を伸ばしていた。
僕はそれを食い入るように見る。
羨ましいような、恐ろしいような。イデアを具現化しているよう。
受け入れられているのかな。
騎士様は僕の問いかけがまるでひとり言だったみたいに踵を返した。また三段飛ばしで今度は降りて行ったから、ぼくも続いてゆく。
ビキッ、と足許が音を立てた。
え、なんて声を出す間もなく宙に落とされた感覚に腹の奥が竦む。僕にはあり得ない反射神経で、何とか後ろへ戻った。
僕が降りようと足をかけていた階段が砕けて下へ下へ落ちてゆく。
数段分の階段がなくなって、騎士様と分断されてしまった。僕では飛び越えられそうにはない。
「き、騎士様!」
振り向いた彼がじっと僕を見てきた。鋭い視線。
何だか脇腹がじくじくと痛い。頭痛とは違う痛みも生まれてきて、思考に靄が。
「どうする」
「え」
「お前はどうする。どこに行く」
「どこに行く…とは」
「見ろ」
何を、と騎士様から視線を逸らした。すると、僕の位置から左右に階段が。それぞれ騎士様が降りてゆく先とは全く異なるほうへ続き、交わることがないように見える。
とくん、とこころが何かを期待した。
新しい信仰があの先にありそうだ、僕が求めているものがそこにあるべきだと何かが訴えている。
何となく漠然と。
騎士様と別れなくては、と。
また騎士様が。
「どうする」
左側の階段から視線を戻した。
「僕の神は」
「……」
僕のこころは決まった。
数段の助走をつけて空中に身を投げ出す。下は底抜けのように地面を秘匿していた。
****
ビクッと身体が浮いた感覚。筋肉の痙攣。
木の根元に崩れるようにもたれかかって、薄らと開ける視界はピントがまるで合っていない。
なんだか頬が熱いな、と感じた途端。
「い゛…ッ、たぃ……」
「…起きたか」
「騎士さ」
「食べろ」
「もがっ……ッ、ッ⁉」
「飲み込め」
「ま゛ッッッ…!」
「そういうものだ」
僕を見下ろす騎士様はなぜかシャツも着ずに防具を着けていた。
じんじんと腹が熱を持ち、ぬるりと濡れている。頭だって割れているような痛みが常にある。口の中は武器を口に突っ込まれたような味。
口の中で咀嚼して嚥下するまで、騎士様はただ見下ろしてくる。いつも無表情だけれど、いまはより一層。
だんだんと思い出してきた。
「と、討伐対象は」
「……」
顔だけで振り向いた先に、オリハルコンの巨体が木々を巻き込んで倒れていた。
「傷口は緩めに縫ってある。動くな」
「は、…はい。ありがとうございます……」
ボコボコとした糸の感触。
木漏れ日が射し込み光る小川。両手の中から水の束を落としながら騎士様が戻ってきた。
冷たく湿ったそれが顔にべちゃり。熱が奪われてひんやりと馴染んでゆく。
視界を遮っていた手拭いを顔から剥がした隙間から見えた騎士様の尊顔。完全に視界が開けるまでのわずかな間、いずれかの表情がいつもの表情に戻ったのを、僕は見た。
#岐路
6/9/2023, 6:27:40 AM