胸が高鳴る
「こんにちは!」
「……また来たの?」
加藤 紗波。数日前、隣に引っ越してきたらしく挨拶に来た。と思ったら、私の顔をじっと見つめてきてもう舞台に立たないのかと聞いてきた。劇をやっていたことを知ってるのに驚いて誤魔化そうとしたけど、用事があったらしく名前と所属してる劇団だけ言って帰ってしまった。
「はい!舞さんがまた舞台に立ってくれるまで毎日誘いに来ます!」
「もうやる気はないって昨日も言ったでしょ?」
「ううん、舞さんはやりたいって思ってるはずです」
「………きみに分かるわけないでしょ」
「分かりますよ!だって…「ごめんね、もう来ないで」
ガチャ
「はぁ……」
部屋に戻ってベットに身を投げる
ドアを閉める間際、彼女の悲しそうな顔がまぶたの裏に浮かぶ。
「なんで誘ってくるの…?私は、みんなの期待を裏切ったのに」
「…誰も…私の事なんて…見たいわけがないのに…」
目が熱くなる
思い出すな、思い出すな。
もうこれ以上、私を惨めにしないで欲しい。
舞台上の東雲舞は死んだんだ。
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転んだ。
最後の1番大切なシーン。
すぐに立ち上がってお姫様の身に起きた小さなハプニングにしてしまえたら、まだ問題なかった。
それなのに。
立てなかった。
失敗して、怖くなって、体が動かなくなった。
ここでは登場するはずのない王子様がお姫様を助けに来た。機転を効かせて助けに来てくれたんだ。お姫様と、私の事を。
王子様が何か叫んでいる。
気にしたことなんてなかったのに今になって急に観客の視線が突き刺さる―
そのあとのことはもう頭の中がぐちゃぐちゃで覚えていない。でも聞かなくたって分かったあの舞台は大失敗だ。
それでも劇団のみんなは私を責めなかったし、むしろいつも通りだった。
でも裏ではみんな私の事恨んでるんだと思うと怖くて、もう舞台には立てなかった。
今でも監督には戻ってこないかと言ってもらうけどあの時のトラウマは全く消えてくれない。
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―いつの間にか眠っていたみたいだった
「いやな夢見たな。」
「まい〜」
仕事の合間、最近仲良くなった由奈が話しかけてきた
「どうしたの?」
「いやね〜実は、チケット貰いまして!」
「チケット?何の?」
「ジャジャーン!」
そうやって由奈が見せてきたのは、演劇の公演チケット。
彼女、加藤 紗波の所属する劇団のものだった。
「え〜っっとごめん!演劇とかはあんまり興味ナクテ…」
「ここ凄いとこなんだよ!」
「…う、でも」
「1人では行きにくいんだよ〜!見ようよ!ね!お願い!」
由奈は嘘をつくときに服の袖を掴むくせがある。と、由奈が先日言っていた。となるなるとこれは嘘らしい。
どうしてここまで私に来て欲しいのかは分からないが、ここまで必死に頼まれると断るに断れない
「…分かったよ」
大丈夫。自分が舞台に立つわけじゃないんだから…
公演日。
しばらくして劇が始まった。
彼女は少女の役だった。
順調に物語は進んでいく
最後、少女が剣を掲げて世界の平和を願うシーン
彼女は長いローブを身にまとい舞台上を歩いている。
ふと視線を落とすと彼女の足元に他の役者が落としたであろう装飾品が転がっていて、彼女はそれに足を取られてしまった。
あ、転ぶ。見てられなくなって目を瞑った。
でも、落胆の声は聞こえなかった
代わりに聞こえてきたのは歓声。
そう、彼女は乗り越えた。
役者、加藤 紗波に起きた不運の事故を長い旅に疲れ果てた少女の疲労に変えた。
彼女が剣を手に誇らしげな表情で遠くを見つめている。
歓声が聞こえる
拍手喝采が鳴り止まない
胸が高鳴る
快哉を叫びたくてたまらないのに声が出ない
目の前の光景から目が離せない
やりたい。あの舞台に立ちたい
彼女とあそこで演じたい!
気づいたら涙が出ていた。
心臓がうるさい。今にも爆発しそうなくらい
劇場をでて劇場裏に逃げ込んだ。
一気に喧騒が遠のく
まだ震える手でスマホを取り出し
監督に電話をかけた
3/19/2024, 1:10:48 PM