神様、聞こえますでしょうか。
(この劣等感が優越感の裏返しなのであれば、
この厄介な感情が誰かを傷付ける醜い行動に変わる前に
消してください、神様!)
と先程祈ってしまった者です。
けれども神様、私は、その感情が無くなった私を好きでいられる自信もないのです。
ありがとうと言われて嬉しい感情に、一欠片の優越感も入っていないと言い切れる程、私は良い人間でしょうか。
優越感も劣等感もなくなって、私は、他人の為に何か努力できる人間でしょうか。
勝ち負けのあるものに努力することができるでしょうか。
勝ち負けのあるものを頑張る人を応援することができるでしょうか。
笑わそうとこちらにボケてくれる人の話を心から笑えるでしょうか。
神様、私は自分がどうしようもない人間だと知っています。
そしてそれを否定したい感情でやっと努力できる面も持っています。
だから神様、どうか
この厄介な感情が
他人を理不尽に傷つけないように
他人を利するように
飼い慣らす力をください。
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ヒトを羨まず、でも自らの技能の腕は磨く努力をして、他人を、世界を愛することができるように見える方は、いらっしゃいます。憧れるし尊敬します。眩しい!
あなたやそんな人と私は違う訳で、ヒーローみたいな心持ちの人はいる、いて欲しいと思っています。
でも、自分がその感情がない人になったらと考えると、サイコパスみたいになりそうなんですよね。
まぁ、無くしたくても無くならない感情だからこそ、他人と比べるな、昨日の自分とだけ比べろと唱え続けるくらいで、ちょうどいいのかもしれません。
困ってる人を助けた時に、劣等感を感じさせながらのありがとうなんかきくことのないくらいには、精進したいんだけどな。悔しいですね。
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群れや社会を形成する猿や犬や烏などに、優越感や劣等感があるのかは知りたいですね。
7/13/2024, 1:42:00 PM