ちどり

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春の暖かい気候が到来した頃。
その日も習慣の散歩をしながらお題のことを考えていると、公園の水辺でカメラを構えている男性を見かけた。

その時はよくいるような写真が趣味の人かとしか思わなかった。
しかし、私が公園を2周も3周もしている間も、ずっと同じ場所で同じ場所格好でいる姿をみて随分と熱心だと思った。

とはいえ他人のやることに口出しするつもりもなく、再度横を通り過ぎようとしたときバズーカのようなレンズが私の視界を遮った。

カメラを構えた男性は構えたままの姿勢で移動しようとしたらしい。
とっさに足を踏みしめて立ち止まった。

見えはせずとも、僅かに漏れた私の声と砂利の音で違和感を感じたらしい。
カメラから顔を上げて私を視認すると、申し訳無さそうに頭を下げた。

「すみません、ぶつかりましたか」
「いえ……野鳥か何かをお探しで?」

ここで非難の声を上げても良かったのだが、好奇心のほうが勝ってしまった。

「野鳥……そうですね、そういうときもあります……」
「それでは花や風景を? 春めいてきましたから、花も沢山咲き始めましたよね」
「ええ、まぁ……」

男性は、偶々話しかけられた私に言うかどうか悩んだのか口ごもりつつ、このように語り始めた。

「私は、私が良いと思った『その時』を収めたいのです」
「その時?」
「言い換えれば、『刹那的な光景』とも言えますね」

刹那、というと写真で収められるようなものではないのでは、と思った。
その私の考えを汲み取るように、その男性はこう続けた。

「よく『刹那』というと、コンマ数秒のことのように感じますが、本来の意味は『今、この時』と言い換えられるように、人によって時間の長さは変わるそうです。」
「へぇ……」

初耳だった。
それならば、写真に収められる。むしろ、写真はそのために撮るものだ。

「ですが、カメラを手にして数年が経つものの、一向に『その時』が捉えられないのです」
「どういうことですか?」

写真を撮る、それはつまり目の前の風景をコピーし手元に残す行為だと単純に考えていたが、男性はどうも違うらしい。

「例えば、風に煽られて大量の花弁か散る桜や新幹線の窓から見えた輝く海、何気ない日常の中で感じた温かい風景……。それらを写真に収めたくても、撮った後に見た写真は当時とは異なっているのです」

彼が過去に撮ったという写真をいくつか見せてもらったが、どれも綺麗な写真だった。
素人目であることを差し引いても、趣味のレベルを超えているように感じる。

素直にそう感想を述べると、男性はお礼を言いつつ首を振った。

「ありがとうございます。ですが、やはり私の求める写真ではありません」

自分のカメラの腕が悪ければ、理想の写真が撮れない理由になったのかもしれない。
しかし、そうではないと自分でもわかっていたのだろう。改めて私に言われたのが応えたのか、気落ちした様子で男性はその場を去っていった。

写真とは得てして、当時の自分が感じたままに写すのは難しい。
色合いだったり、視界と写真の画角や幅も違う。
それは素人の私でもそうなのだから、彼程の腕を持ってしても難しいとなるとかなり過酷な道のりだろう。

しかし、男性が語った理想には全て、自身の当時の感情があった。

その時に感じた感情ごと写真に残す。

果たして、そんな事ができるのだろうか。

道が違えど、情景を表現しようとする者として他人事とは思えなかった。

「理想の写真」
⊕刹那

4/29/2024, 9:25:15 AM