最初はいろいろな音に耳を澄ませていただけだった。
風の音や木々のざわめく音、車の音や人々の活気のある声を聴いてきた。
ただ純粋な気持ちで聴いていただけだった。
いつからだったか、音に怯えるようになっていた。
聴きたくないものまで聴こえてくる気がして。
風の音に、空の悲しみが混ざっている気がして。
木々のざわめきに、植物の痛みの怨嗟が混ざっている気がして。
車の音に、大地の怒りが混ざっている気がして。
人々の声に、乱れた感情や恨みや苦しみが混ざっている気がして。
全ての音が、訴えかける声に聴こえて――。
耳を澄ませば聴こえてくる。
音が、声が、怖い。
もう何も聴きたくない。
そう思い、耳を塞いだ。
他人の顔を見るのさえも怖くなった。
その日もベッドの上にうつ伏せに寝転がって、枕に顔を埋めていた。
その時。
~♪~♪~
風に乗って、耳に届いてきた。
リコーダーの音だった。
決して上手いとは言えなかったものの、澄んだ綺麗な音だった。
思わずベランダに飛び出し、身を乗り出した。
見下ろした先では、一人の少女が必死にリコーダーを練習していた。
流れてくる音。溢れる温かい思いが、リコーダーの音色には篭っていた。
ああ、世界には、こんなに綺麗な音も存在しているんだ。
当たり前のことだったけれど、そう思った。
当たり前のはずなのに、耳を塞いたから、今まで気付けなかった優しい音。
それから、音への恐怖はなくなった。
世界にはたくさんの苦しみや悲しみが存在していて、聴こえてくる声は醜かったりもするけれど、温かい音も確かに存在しているから。
『耳を澄ますと』
5/5/2024, 8:36:05 AM