【「ありがとう」そんな言葉を伝えたかった。その人のことを思い浮かべて、言葉を綴ってみて。】
――ねえ、知っている? 伝えたかった「ありがとう」を綴った手紙を笹舟に乗せて川に流すとね、優しい飛脚さまが黄泉の国までその手紙を届けてくれるんだって。
膝を濡らす水の温度が冷たい。川に流される笹舟を、そっと両手で拾い上げる。中に横たわった宛先のない手紙を、手の中へと取り出した。
「変わり者だよね、君は。暇つぶしにしても趣味が悪い」
森の木の枝に胡座をかき、膝の上に肘を置いて頬杖をついた双子の片割れの呆れたような声色に、思わず微苦笑が口元に浮かぶ。
「良いだろう、別に。誰に迷惑をかけているわけでもない、むしろ社会貢献なんだから」
言い返しながら手紙を開けば、パサリと乾いた音がやけに大きく響いた。
「知っているかい? 世間様が君を何と持て囃しているか」
嘲るような君の声が鼓膜をくすぐる。それを聞き流し、僕はただ手紙に踊る文字を目で追った。
どうやら送り主は妙齢の女性のようだ。自分を置いて亡くなった旦那さんへの、穏やかで幸福な日々への感謝の言葉が、整った文字で綴られている。彼女がどんな人生を辿り、誰を愛し、大切な人を失って何を感じたか、その全てが短い手紙の中に詰め込まれていた。
ああ、やっぱり興味深い。笹舟に乗って届く手紙はどれも『亡くなった大切な人への感謝』という共通の感情が綴られているのに、送り主によってその色は全く異なる。こうして手紙を読んでその差異を知ることが、僕の数少ない趣味の一つだった。
ざぶざぶと音を立てて、川の中を岸辺へと歩く。音もなく姿を現した白狐へと手紙を差し出せば、狐はそれを器用に咥えて森の奥へとしなやかに駆けていった。
「――『黄泉の国への飛脚さま』だってさ。笑える話だ」
告げる君の声は冷ややかだ。身軽に地面へと降り立った君と肩を並べて、僕たちも狐の後を追うように森の奥の社へと歩き始めた。
「あながち間違った噂ではないないだろう? 実際、運良く僕に拾われたいくつかは、神のもとへ届くんだから」
「動機が最悪過ぎるのさ。君と血が繋がっているだなんて、こちらの品位まで疑われてしまう」
吐き捨てるように放たれたそれが、決して本心でないことはとうに知っていた。だって僕には君しかいなくて、君には僕しかいない。二人きりで手を取り合って、気まぐれな神様に繋いでもらった命を分け合って今日を生きている。
双子は忌み子だなんて言われて、幼い頃に森の中へと捨てられた。僕たちに石を投げた人間たちに、情なんて欠片もない。それでも人間という存在に興味だけはあるのが僕で、透明な無関心を貫くのが君だった。
きっと世間は、死者への感謝の手紙を届ける僕のことを優しいだなんて評すのだろう。本当に優しいのは人間の感情を悪戯に弄ぶことのない君のほうなのに、そんな簡単なことにも気がつかぬまま。
吹き抜ける清涼な風が森の木々を揺らす。その心地よさに微睡むように、僕はそっと瞳を閉じた。
5/3/2023, 11:32:20 PM