『記録』
日記をずいぶん長く書きつづけていた。
私が私である、私でありつづけた記録。
そして、何十年と云わずほんの数年前でも、その頃の私はいまの私ではないのだと思い知らされる。
そんな記録だ。
例えば、六年前の夏。茄子は大嫌い、とあった。
いまの私は茄子は調理方法次第で好きだ、おいしい、と思っている。麻婆茄子もいいし、焼き茄子なんか最高だ。
きっかけは夫がつくってくれた焼き茄子がとてもおいしくて認識を改めたからだ。
例えば、十五年前、冬。
暑いくらいなら寒いほうがずっといい。とある。寒さ対策なら厚着に限度はないのだからいくらでも重ねればいい。だが暑くて脱ぐには限度がある。全裸になってまだ暑くてもそれ以上脱ぎようがない。と。
実際昔は寒さのほうが耐えられた。耐えるという意識すらなく、ちょっとした我慢だった。しかしいま、冬の寒気も骨身にしみる。夏は苦手なまま、冬の寒さにも悩まされる。
例えば二年前の秋。
猫も好き、だけど較べるなら断然犬派。と書いてあった。
一年前。去年だが、その春先に書かれているのは、野良猫がやけに懐いてくると。
同じ年の梅雨時。野良猫を我が家の猫として受け容れることを決めた、と、覚悟が綴られていた。
年々季節はくりかえす。
同じような春夏秋冬。それぞれの季節のイベントごと。旬の食べもの。空の色、花の季節。
変わらぬようで、ひとつひとつ同じだった時はひとつもない。
日記をめくっては私が私であることの奇蹟を思う。
「どうした?」
日記帳をひっぱりだして眺める私に夫は訊いた。
「楽しいなと思って」
答える。
「そうだろうね、日記をつけるとき君はいつも楽しそうだよ」
そうなのか。そんなに表情に出るものなのか。
足もとにすり寄ってくる猫を抱きあげて私は夫に笑いかけた。
「それはたぶん、いまがかけがえなく幸せだからかな」
私が私であることは、永遠ではない。
だから、綴る、記録。
2/26/2025, 10:28:29 AM