【記憶の地図】
細く入り組んだ路地を歩く。私の記憶の地図が確かなら、もうすぐ見えてくるはず。この先の角を右に……ほら、あった。
目当ての店は何の変哲もない小さな民家という印象だった。地味で目立たない看板も以前と同じ。『ホレス魔法堂』は店主のホレスに歓迎されない客ならば、たどり着くこともできないという。
「あの。本当にここですか」
隣で不安そうな顔をしている弟子が、どうやらホレスに『弾かれ』なかったらしいということにホッとする。
「大丈夫、ここで合ってるからね」
そっとドアを開ければ、外観からは想像できないくらい、店内は広々としている。ラックに立てられた長杖、大きな本棚に並ぶ魔法書、怪しげな薬とその材料、色とりどりの魔石、奥の方には魔法士のローブが掛けられたハンガーが並ぶ。
店は無人で不用心に見えた。けれど、ホレスの魔法が張り巡らされたこの場所から、勝手に何かを持ち出すことなんて私でもできない。
「ホレス。居るのでしょう?」
呼びかけると、店の奥から、淡い色合いの金髪を後ろに撫で付けた痩身の男が現れた。
「おやおや。誰かと思えばヘンリエッタ。随分と久しぶりですね。そちらの可愛らしいお嬢さんはどなたかな?」
「この子はミリディアナ。私の弟子なの。ミリィ、彼がここの店主のホレス」
人見知りしやすいミリィは、咄嗟に言葉が出なかったのか、ぺこりと頭を下げた。
「今日はミリィに杖をと思って」
魔法士の初めての杖は師匠から弟子に贈られるもの。昔の風習ではあるけれど、私はミリィに杖を贈りたいし、それならホレスの店で選びたかったのだ。
なるほど、と呟いたホレスが目を細めてミリィを見た。
「属性は土……いや、光の方が強いのかな」
「相変わらず目が良いのね」
ホレスの目は特殊だ。普通の人には見えない何かが見えているらしい。私の魔法属性も知られているし、相手の魔力量を見抜くことまでできるという。
「初めての杖なのよ。12歳のお祝いで」
「それはまた古い風習ですね。今日はそのためにここへ?」
「だって。杖を贈るなら、ホレスに見立ててもらいたかったの」
「頼ってもらえて嬉しいですよ、ヘンリエッタ。でも、もっと頻繁に会いに来てくれてもいいのに」
「そうね、ごめんなさい」
しばらくミリィを見つめた後、ホレスは壁際のラックから一本の杖を取った。
「初めての杖は魔力の回復を助ける効果があるものを選ぶのが定番です。しかし、ミリディアナ嬢にはきっとこちらの方が良い」
ホレスはミリィに杖を持たせた。
「魔法の威力を僅かに下げる代わりに、精度を上げる杖です。魔力の暴走を抑え、狙いを定める助けをしてくれるでしょう」
「本当に目が良いんだから……」
魔力量が多すぎるミリィの課題は攻撃魔法の制御だ。魔法の命中率があまり良くないのである。
「重かったり、違和感があったり、持ちにくくはありませんか?」
ホレスに聞かれて、ミリィが頷いた。
「はい、大丈夫……です。なんだか、すごく、手に馴染むというか」
それは良かったとホレスが微笑む。やはりここにミリィを連れてきたのは正解だった。
「ありがとう、ホレス。良い杖ね」
「ええ、良い杖ですよ。きっと長く使えるでしょう。ただしその分、値段は覚悟してくださいね」
「構わないわ。これでも私、稼いでいるから」
「流石は宮廷魔法士殿」
ホレスが茶化すように言った。
「王女殿下の教育係ともなると、裕福な暮らしをしておられるようだ」
「……知ってたの」
ミリィが王女であることはわざと説明しなかったのに。
「あなたの噂は色々と聞いていますよ」
ホレスが目を細めて笑う。その顔が狐みたいだといつも思っていた。
「王族から婚約を申し込まれたというのに、結婚はしないと宣言したそうですね」
「そんなことまで知ってるの?」
「ええ。可愛い妹弟子のことですから」
ホレスと私は同じ師から魔法を学んだ。でも、ホレスは魔法士として活動するより、魔法薬の研究をしたり魔法書を集めることの方を好んだ。結果が今のこの店である。
王の甥である殿下から婚約を申し込まれた時、私の頭に浮かんでしまったのは、この兄弟子の狐顔。ホレスは私が諦めようと距離を置いた相手だった。
何せこの男は魔法とそれに関連するもの以外に興味がない。そもそも恋愛感情なんて持ち合わせているのか疑わしい。でもだからこそ、こうして頼ってしまったわけだが。
杖の値段は確かに高かった。けれど、どうにか予算内ではある。私はミリィに見せないようにして支払いを済ませた。
「ところでヘンリエッタ。あなたはいくつになったのですか」
「あら。女性に年を聞くの?」
むしろ覚えていないのか。私が師匠の元で過ごしていた頃は一緒に誕生日を祝ったこともあったのに。
「もうすぐ26歳よ」
この国の令嬢としてはすっかり婚期を逃してしまった。けれど、まあ。私はそれでも構わない。
「そうですか。もう立派に大人ですね」
ホレスがじっと私を見る。
「何?」
「あなたが誰とも結婚しないようなので。それならいっそ私が名乗りをあげようかと」
「え……」
私は驚き、ホレスをぽかんと見上げた。
「ホレスは私に興味なんてないと思ってた」
つい恨めしげな声が出た。兄弟子がため息をつく。
「年の差、いくつあると思ってるんですか。まだ子供だったあなたに手出しできるわけがないでしょう」
ホレスは、私を軽く睨み、
「今度、ドレスを贈らせてください。食事にでも行きましょう」
と言った。内容と表情が釣り合っていない。
顔がじわりと熱を持つ。私は真っ赤になって、その場にしゃがみ込んでしまった。
「先生、大丈夫ですか?」
優しい弟子が心配してくれる。
「ええ……でも、少し時間をちょうだい」
私の返事は弟子に対するものであり、同時に兄弟子に対するものでもあった。
本当にホレスが私にドレスを?
すぐにはこの現実を受け入れられない。
ああ、でも。やっぱり、ミリィの杖はここに見に来て良かったと思う。
6/16/2025, 8:59:33 PM