「あいつが、虫だ」
それは正しくはなかった。けれども誰一人、それを疑いはしなかった。
虫。穢れや厄を振り撒く悪いもの。
この村では年に一度、虫を追い出す祭りを行っている。
それは紙や藁で作った人形を村外れの川に流すもので、実際に人を追い出すことはない。
それなのに何故、あの時彼女を虫だと決めたのか。何度も繰り返す後悔は、今はただの意味のないものだ。
あの頃。村では原因不明の病気が広がっていた。
薬を飲んでも下がることのない熱。静かに村中に広がって、学校内でも皆不安に表情を曇らせていた。
「――きっとこの村に、虫がいるんだ」
誰かが言った一言が切っ掛けだった。
「虫を追い出せば、きっと病気はよくなるはず」
今まで祭りをただの行事として信じていなかったはずなのに、クラスメイトの誰もが信じていた。
「虫を探さないと」
その一言で、互いが互いを疑い始めた。
ただでさえ皆家族が熱で苦しんでいるのを見ており、そしてそれは自身にも感染するかもしれない不安を抱えていたのだ。不安は一瞬で虫という犠牲者を探す執念に変わり、クラスには疑いや怒りの言葉が響き渡った。
恐ろしかった。どうにかして止めたくて、その方法を求めてクラスを見渡した時、彼女を見てしまった。
クラスメイトと言い争うこともなく、教室の隅で悲しげな表情をしていた彼女。その様はクラスの中であからさまに浮いていた。
気づけば、彼女を指さしていた。
「あいつが、虫だ」
それは正しくはなかった。けれども誰一人、それを疑いはしなかった。
彼女も、何も言わなかった。
そして祭りを真似て、彼女を村の外れまで連れて行った。
彼女の背を押し、川を渡らせる。川を渡り切った後も、その姿が見えなくなるまで誰一人動こうとはしなかった。
「虫は、いなくなった」
誰かがそう呟いたのを覚えている。
彼女は虫ではないと、否定する言葉は一つも聞こえなかった。
次の日。彼女は学校に来なかった。
一週間経って、街から届いた薬が病気を治してくれた。
半月経って、村は元の日常を取り戻した。
けれど。
一か月以上経っても、彼女がクラスに戻ることはなかった。
何故、彼女を虫だと決めたのか。それはきっと感情のはけ口を誰もが求めていたからだ。
不安を吐き出し、見える形で安心を得たかった。たとえ間違いだったとしても、そうしなければ皆耐えきれなかった。
でも間違いだったと踏みとどまることができたのならば、きっと今も彼女は隣にいてくれた。
彼女へのプレゼントとして密かに作った押し花の栞が、今も手元に残っていることはなかったはずだった。
後悔している。彼女を虫だと追い立てたことも、春先の冷たい川を渡らせたことも、姿が見えなくなった時点ですぐに迎えに行かなかったことも。
あれからそろそろ一年が経つ。
彼女はまだ、戻ってこない。
「兄さん、ただいま」
笑顔で戻ってきた妹の姿に、境内の掃除をしていた兄は眉を顰め歩み寄った。
彼女が村を離れて一年が経つ。社の巫女として村の穢れを引き受け、流すためだとは理解してはいたが、それでも連絡一つしなかったことはそう簡単に許せるものではない。
「遅い」
「痛っ!?」
べちりと、呑気に笑う妹の頭を叩く。痛みに頭を押さえ、不貞腐れたように頬を膨らませて妹は兄を見上げた。
「遅いって……だって、村中の病だよ!それ全部引き受けて、ついでに街のお医者さんにお薬手配してもらってからお山に籠ったんだから仕方なくない!?」
「だとしても、お勤めの合間に連絡はいれられるはずだ。そもそも何で周りにしっかりと説明をしないんだ」
「え?だって皆が始めたんだよ?分かってやってたんじゃないの?」
「分かるわけがないだろ。少しは考えろ」
驚く妹に、兄は疲れたように嘆息する。
妹がいない間、どれだけの人が心配し心を痛めていたのか。彼女は少しも理解してはいなかった。
「理不尽……にしても、何ていうか村中が暗くない?厄とは違うみたいだけど」
文句を言いながら、そういえばと妹は不思議そうに首を傾げる。
やはり、何も理解していない。兄は眉間の皺を濃くしながらどう話したものかと悩む。
巫女としての資質が強いためか、妹は人よりも村として物事を見ることが多い。そのため人の機微に疎く、彼女がいなくなった後の残された者たちの想いを伝えても、そう簡単に理解することはないのだろう。
彼女を虫として送ったクラスメイトの子たちが、その当時どれほど追い詰められていたのか。そしてそれを後悔し続けているなど、想像すらしていないはずだ。
「そうだ!ちょうど虫送りの祭事が近いことだし、また虫として厄を流せば何とかなるよね?」
思わず、兄は頭を押さえた。
どうして妹はこうも察しが悪いのだろうか。
たとえ間違いだったとしても、心を守るため悲壮な決意で彼女を追い遣ったクラスメイト。
たとえ間違いだったとしても、それを本当にして引き受けた厄を流し祓えばいいと気楽に考えている彼女。
すれ違い、少しも交わることがない。
痛むこめかみを揉みながら、兄は石段へと視線を向ける。
ちょうど参拝に来たのだろう。妹のクラスメイトたちの姿が見えた。
「とりあえず、一回泣かれてこい」
「え?それってどういう……?」
何も分かっていない妹の体を反転させ、背を押した。
同時に駆け寄ってきたクラスメイトたちに囲まれ、泣かれ心配されて困惑している妹を見ながら、少しでも人に興味を持ってほしいと兄は切実に思っていた。
20260422 『たとえ間違いだったとしても』
4/23/2026, 11:09:58 PM