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 社会人になるとき、洋服の接客業を選んだことを後悔した。
 勤め先の百貨店はかつての活気あふれるイメージから一転、ご年配客の散歩道となっているからだ。
 喋りにくる客、声が聞こえてない客、むしろ私が見えていな客。わざと無視されているのでなく、お客さんが店員の話を見聞きする姿勢ではないということだ。だから本当に私の声も存在もすぐそばにいても届いてないのだ。
 閑散とした店内で、毎日「誰かが何か買ってくれないか」と神頼みするのだ。

 そんな中、気が滅入ることを言われると、ただでさえ落ち込んでいるのに追い討ちをかけられた気分になる。三十路をとうにすぎた、世間でいう「年増」で「中肉中背」の私に対して、

「若いんだから何でも似合うじゃない」
「貴方みたいにスタイル良ければ」

 とそんな言葉を投げかけられる。お客さんにとっては一回なんだろうけど、私たちは一日通して何十回、それを毎日言われるのだ。何か上手いこと言い返そうと考えるけど結局何も思いつかなくて、笑って濁すのが定番である。
 もう聞き飽きた。何か違うパターンないだろうか。

 また、こんな言葉を言われることがある。

「綺麗な色だけどもう私、シワクチャのおばあちゃんだから着られない」

 なんだそれ。

 実際には「そんなことないですよ」と返して鏡の前まで誘導するのだが、私の心は言われるたびそう返事してる。

 なんだそれ、関係ないじゃん。

 どうせこんなこと言うお客さんはその"おばあちゃんらしい色"にはこう答えるのだ。

「すっごく地味」
「イマイチピンとこない」
「肌が汚く見える」
「シミ、シワが目立つ」

 だからいちいち気にする必要はない。
 私は遠慮なく、お客さんの好きな綺麗な色をどんどんオススメする。お客さんが綺麗と発言したということは、少なくともその綺麗な色に興味がある、もしくは好感を持っているということだからだ。

   *

 入社して一年目の頃、接客したお客さんのことを今でも覚えている。
 それは一日一回、接客できたかできてないかの究極に暇な店舗に配属された時期の話だ。一人で店番をしていると、ご年配のお客さんがご来店された。
 年齢は六十代半ばだろうか。小柄で華奢な体型だが、化粧を施されてくっきりとした目鼻立ちと明るい金色に染められた髪から、かなり活発な印象を受けた。
 私は慌ててニッコリ笑い挨拶をすると、お客さんが口を開いた。
「あのね、ニット探してるんだけど」
 一言喋ればあまりのハスキーボイスに心配してしまった。酒豪か、ヘビースモーカーか。それとも何かしらの病気かと。
「まだ寒い季節だけど新しいものがほしいの。何かなーい?」
 お客さんの発言に対してまたもニッコリ笑って、とりあえずそばにあった春の綿ニットを見せた。白に近い淡いグレーな色合いは、お客さんの世代に人気が高かったからだ。
 お客さんは私のさすらいな説明にふーんと相槌を打ってくれた。でもどうやらお気に召さなかったようで、お客さんが他の商品を求めてラックを見やる。すると、お客さんが豹変したのだ。

「やあだぁー、何これ! すごく可愛いじゃない!」

 お客さんは、私が紹介した春の綿ニットの色違いを手に取った。私は思わず「あっ」と声に出してしまった。
 お客さんが手に取ったのは真っ赤な色のニットだったからだ。
 一応アプリコットレッドという名前がついているのだが、鮮明な赤と想像してほしい。スタッフ同士でこの商品を見た時、「誰が買うんだこの色」と恐れ慄いてしまった今期迷品暫定一位のカラーニットである。
 店頭に並んでから一ヶ月程度経過しているが、ご年配のお客さんには特に受けが悪かった。赤という色味に対して敬遠される人もいたし、強い拒否反応を示す人もいた。だから自然と私たちもお客さんに紹介することを躊躇うようになったのだ。
 お客さんは鏡の前に立ち、ニットを顔の下に合わせる。私の焦りとは裏腹に、お客さんの顔が一段と輝いた。顔の血色は赤色の効果か、それとも可愛い洋服に出会って興奮したからか。角度を変えて鏡を覗き込んでいる。
 お客さんのテンションはどんどん上がっていき、入店された時と印象がだいぶ変わっていた。

「私、こういう明るい赤大好きなの! 最近はなかなか見かけないのよ、こういう赤は。何で作らないのかしら?
 ほら見て! 似合うでしょう? 私この色昔から似合うのよ。十歳くらい若く見えるでしょう? もう七十超えてるんだけどね、似合うでしょう? もうすっごく素敵だわ!

 決めた、これもらう」

 即決だった。何かもが早すぎた。デザインもサイズもちゃんと確認してないのに、お客さんはそれでもいいと言わんばかりの勢いだった。
 私はポカンとしながらお客さんから商品を受け取っていた。手早くサイズを確認して会計を済ませ、お見送りをする。そうしてようやく商品が売れたという実感が湧いてきたのだ。
 売れた商品の新しい在庫を出しながら、お客さんがどんな人だったか思い返した。
 あの赤いニットを上半身に当てた時、本当に似合っていたのだ。顔まわりがパァーッと明るくなって華やかになり、よりエネルギッシュな印象を受けた。肌が健康的な白さで輝いていたし、髪の毛の艶が増した。そして何より、と考える。

 好きな色に出会った時のエネルギーはやばい、と。

 あそこまで「大好き」と豪語されると、きっと穴が開くまで着倒してくれるだろうと確信できた。いや、穴が空いても縫って着てくれるかもしれない。流行遅れだろうと、多少色褪せてしまおうと、あの手この手と試行錯誤してコーディネートを組むお客さんが想像できた。
 何としてでもこの色を身に纏いたい。
 そんなお客さんの思いがこちらにまで伝わってきた。

   *

 この日以降、TPOに反していなければお客さんの好きな色からオススメするようになった。
 人は好きな色の洋服を箪笥の肥やしにしない。絶対どうにか試行錯誤して着てくれる。何より好きな色を着た人は、着る前に比べて百倍は嬉しそうな顔をされるのだ。
 だから年齢なんて関係ない。昨今のパーソナルカラーや骨格診断などもわざわざ気にする必要はない。ただ純粋に、好きな洋服を着ることを楽しんでほしい。

 もし今後、洋服を選ぶ上で好きな色があったら真っ先に選んでほしい。絶対に似合うから。絶対に似合うように自分から洋服へ寄っていくから。売れない販売員が保証します。



『好きな色』

6/22/2024, 6:46:58 AM