桜河 夜御

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お題「胸の鼓動」 

 響き渡る歓声。鳴り止むことのない拍手の音。
 スポットライトの光を浴びて立つ、輝かしいこの舞台で、ずっと歌い続けたい。この先何年、何十年、何百年だって。
 その思いを叶えるために作成されたのが、本人を模した3Dモデル。
 姿形だけではない。声も、性格も、趣味嗜好も何もかも、全てをオリジナルに寄せて作られている。
「今日のライブも凄く良かったよ!」
「ありがとうございます!」
 オリジナルがいなくなり、その思いを叶え続けている当人だけが、未だに自分自身の出自を知らずにいる。
 知らないままで、その人が立っていたのと同じステージで、輝き続ける。
 真実を知る人たちは、そのままでいいと考えていた。世の中には、知らなくていいこともある。知らないままで、輝けるのなら、わざわざ教える必要はない。
 けれど、情報が溢れ返るこの時代に、いつまでも隠し事を続けるのは難しい。
「死者の歌声って、どういう意味ですか」
 今はネットで、どこの誰とも知れない人たちが嘘か本当かも分からない噂話を、あたかも真実であるかのように語る。
 そんなものは嘘だと笑い飛ばせるものから、本当かもしれない、と思わせるものまで、様々な話が飛び交うなかに、そんな書き込みを見つけたらしい。
 あの人の歌声は、もういない人のものだ。あれは死んだ本物を模した3Dモデルだ。自分たちは、死者の歌声を聴かされている、と。
 その話に肯定的な声もあれば、否定的な声もある。
 死者の声を使い続けるなんて、という人もいる。死者の声など、知らないうちに聞いていることもあるだろう。だからそんなことは関係なく、あの歌声が好きだという人もいる。
 とにもかくにも、知ってしまったのだ。死者の歌声という、知らなくても良かった言葉を。
「そのままの、意味だよ」
 だからもう、隠すことは無理だと思った。
 隠せないなら、変に誤魔化すよりも全てを話してしまおう。知ったところで、何も変わりはしないのだから。
「君はね、歌い続けたいと願った人の3Dモデル。姿形も、歌声も、性格も、趣味嗜好も。全部オリジナルから貰ったものだよ。君は死者の写身みたいなものなんだ」
「そう。全部……」
 俯くその姿に、掛けられる言葉は浮かばなかった。
 自分のものだと信じていた、全て、何もかも。本物の誰かから貰ったものだと、初めから自分だけのものなど何もないのだと。知ったところで、どうしようもない。
 だってあの子は、歌い続けたいのだから。
「でも!でも、この心臓は、この音だけは、本物でしょう。作り物に、鼓動なんてないんだから」
 姿形は、オリジナルに似せたもの。歌声も、オリジナルと同じもの。性格だって似ているどころか全く一緒で、趣味嗜好だってその通り。全てが本物から貰ったものばかりで、自分のものなど何もない。
 分かっていても、何か一つ、自分だけのものを探したくて。
 思い至ったのが、トクン、トクン、と今でも一定に心地好く動く、その胸の鼓動だった。
「君のその、胸の鼓動はずっと一定に動いているよね?」
「当たり前です!生きてるんですから」
 生きている限り、鼓動は一定の速度で動き続ける。
 だからこれだけは、本物だ。
「鼓動はね、感情で速度が変わるものなんだよ。でも君の鼓動は、舞台に立っても、今こんなに動揺しても、ずっと変わらない」
 そう言われて、初めて知った。
 鼓動の音は、どんな時でもずっと一定なんだと疑わなかった。だって一番身近な自分の音が、そうなのだから。
 トクン、トクン、と。今も変わらず、この胸の鼓動は一定の速度で動き続ける。
 こういう時、本物の胸の鼓動はどんな速度で動くのだろう?
「その鼓動は、君だけの、偽物なんだ」
 本物の胸の鼓動は、こんな風に一定ではないのだろう。だからこれは、本物から貰ったものではない。
 トクン、トクン。一定の鼓動こそが、自分が本物ではないことの証明。
 けれどこれこそが。この一定に動く胸の鼓動が、自分だけの、唯一だ。

                    ―END―

9/23/2023, 8:07:47 AM