池上さゆり

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 中学校の校外学習で初めて訪れた美術館で印象に残っているのは、赤一色で描かれた風景画だった。草も、建物も、人も、すべてが赤色で構成されていて、不自然なはずなのに、どこか人の目を奪うような魅力が確かにそこにあった。その作者を忘れないように、配られてパンフレットにマーカーペンでメモしたのを覚えている。
 高校に進学してからは美術部に入った。周囲の人が様々な色を使って絵を描いていくのに対して、私はあの日感化された絵が忘れられず、青一色で描いていた。本当は赤で描きたかったが、真似をしていると思われても嫌だったので別の色にした。だが、一色で濃淡を表したり、違和感のない絵に仕上げるのはすごく技術のいることだと知った。
 二年生の夏休み。美術部の顧問からここの卒業生が近くの美術館で個展を開くということで、そのチケットをもらった。そこに書かれていた名前は、中学の時に見たあの作者だった。
 興奮が抑えきれず、初日に一人で美術館を訪れた。別館の方で展示してあると看板に書かれており、胸の高鳴りを抑えながら進んでいった。
 中に入ってすぐに展示されていたのは、やっぱりあの時と同じように赤一色で描かれた絵だった。次の部屋、次の部屋へと進んでいっても色は増えなかった。それは食べ物だったり、満月の夜だったり、走っている犬の絵だった。これが見たかったんだと嬉しい気持ちのまま最後の部屋に入った。壁一面に飾られた大きなその絵はカラフルなリビングの絵だった。比喩などではない。これまで赤しか使われていなかったのに、青や黄色、緑、オレンジ、紫と色鮮やかな絵が飾られていた。
「なんで……」
 突然裏切られたような気持ちになった。絵の横に書かれている紹介文に目を移した。
「私は今まで色覚障害を患った妹が見る世界を知りたくて、赤一色で世界を飾ってきました。そんな妹も最新技術により特殊なメガネをかけることで私と変わらない世界を見ることができるようになりました。これは妹が最も愛する世界です」
 すぐには理解できず立ちすくんでいた。
「驚かれましたか」
 突然後ろから声をかけられて振り返ると、若い女性が立っていた。そういえば、初日は在廊していると書かれていた。きっとこの人が作者なのだと思った。
「私、あなたの描く赤色の世界が好きだったんです。なんで……」
「ありがとうございます。でも、私はプロでもなければ、これで生活をしているわけではありません。所詮、誰かのためにしか絵を描けないただの一般人なのです」
 優しい笑顔を浮かべているのに、未熟で一方的な片思いをしていた私はただひたすらに裏切られたとしか思えなかった。
 

5/1/2023, 10:30:17 AM