題 命が燃え尽きるまで
「あなたが私の名前を呼ぶたびに、私と手を繋ぐたびに、私はぽっと赤くなって、少しずつ心臓が燃えているような気がするのです」
「それは。それは、まるで私があなたをゆっくりと殺しているようですね」
「ふふふ。そうかもしれませんね」
お仙ちゃんは嬉しそうに笑った。それを見た涼治郎は何か大きなものが口から出そうになったが、我慢して口をもごもごするだけに留まった。
男の名前は浅田涼治郎。帝国陸軍少尉であり、今日は
山本邸にお邪魔していた。お仙ちゃんから「さくらんぼを食べましょう」と誘われ、ふたり並んで縁側に腰掛け、ドキドキちびちびお茶を飲んでいた。それというのも、以前お仙ちゃんから「口説きたいです宣言」をされ、それをうっかり承諾して以来、涼治郎は彼女の言葉にタジタジする日常なのである。
女の名前は山本水仙。戦時景気の波に乗った成金の一人娘である。みんなからはお仙ちゃんとか、仙女さまなんて呼ばれ、櫛で髪を梳くみたいに可愛がれられて育った娘である。そんな彼女は今日も慕う男の隣に腰掛け、ドキドキもぐもぐさくらんぼを食べていた。
涼治郎は考え続けていた。「口説きたい」とは、何事か。惚れさせたい、と言うことだろうか。自分たちは許嫁であり、この関係は家のためであり、お互いを想う感情は体裁上”当然”である。しかし、「口説きたい」とは⋯⋯ 何事か。涼治郎は他人との関係性を書面でしか測れない男である。だからお仙ちゃんが本気で涼治郎に惚れているという可能性を脳が許さないのだ。こいつは好きな人と結婚できるくせに一生片思いをする覚悟で生きている。
一方、お仙ちゃんは最近調子に乗っていた。自分の言葉でタジる涼治郎を見て気分を良くしているのである。今だって隣の涼治郎をチラリと見上げ、平生硬い顔の彼が瞳を揺らしているのを知って、ゆるゆると口の端を上げた。
「次のお仕事はどちらに?」
「あ、会津の方に。合同訓練ですので、6日ほど家を空けます」
「まぁ、そんなに。帰ってきたらいちばんに顔を見せてくださいね、きっと癒して差し上げます」
「いやす」
──────どんな風に?
涼治郎は、このままでは自身のちっぽけな恋愛脳がオーバーヒートを起こすと予知した。その結果自分が何をしでかすかは未知だった。
このままではいけない。何か大きなエネルギーが、尊くて裸のままの何かが膨れ上がっているのを感じた。涼治郎は反撃に出る必要があった。
しかしこの涼治郎という男、ことごとく不器用な男であった。仕事以外のほとんどにおいて石に躓く生き物であった。
だから、間違えた。
「月が綺麗ですね」
「⋯⋯ え、」
見上げれば良いお天気である。しかも、学のないお仙ちゃんはその意味を知らないでいた。お仙ちゃんは「お月見がしたいのか知らん」と思い思い、時期になったらススキとお団子を用意して、ゆっくりとした夜を一緒に過ごそうと算段を立てた。
お仙ちゃんの反応がイマイチだった涼治郎は不甲斐なく焦った。
「(毎日あなたの)お味噌汁が飲みたいです」
「え。すぐにはお出し出来ませんが、少し時間をくだされば用意できますよ。⋯⋯ やっぱり、さくらんぼはお嫌でしたか」
「ちが」
お仙ちゃんがしょんぼりしたのを見て、涼治郎はさらに焦った。見苦しいくらいに汗が流れた。何だかどんどん違う方向に進んでいる気がする。涼治郎は無意識にお仙ちゃんの両手を掴み、優しく、どこにも行かないようにしていた。
何か。何かこのエネルギーを言い表す言葉は。
このエネルギーの正体は───。
「愛しています」
それは核にも似ていた。落とされたお仙ちゃんはたまったものでは無い、痺れから引き返せなかった。だんだんと体から力が抜けて、心臓が爆速で動き出した。全身の血管が閉まっていたのだ。
「⋯⋯ え。え!」
「愛しています」
第2弾、投下───。
お仙ちゃんはぽかんと口を開け、顔を真っ赤にして瞳を揺らしている。「好きと言われてみたい」。そんな乙女心からお仙ちゃんの口説き落とし作戦は開始した。
しかし、その実どうだろうか。いざ望みが叶ったらこのざまだった。詰まるところ、お仙ちゃんは調子に乗っていた。どうせ涼治郎さんには言えっこないわっ、て。
「水仙さん」
「⋯⋯ 」
「水仙さん、私は、」
「涼治郎さん私お味噌汁作ってきます」
「え」
お仙ちゃんは逃げた。両手で顔を隠してパタパタ走っていってしまった。
結局、涼治郎は関係性上“当然”のことしか言えなかった。涼治郎の尊い苦悩はまだしばらく続くのである。
前作は、2023/5/5
「大地に寝転び雲が流れる・・・目を閉じると浮かんできたのはどんなお話し?」
にて。
9/15/2023, 2:05:40 PM