猫宮さと

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《さよならは言わないで》

最近、議会が妙な流れになっている。

亡き皇帝派から出る質疑の内容が、議題とは見合わないものばかりなのだ。
その対応を受けて、この連日満足に眠れていない。

そして先日は彼女と二人で本部の執務室に向かう途中、突然あからさまな蔑みの声を向けられた。

「そんな妻でもない女連れで、よくこの厳しい国難に立ち向かっていけるな。目も心も、色で曇らせている場合ではなかろうに。」

隣にいる少女は、それを聞いて大きなショックを受けたようだ。
顔を青くさせて、その場に立ち止まった。
僕は少女の前に立ち、相手に返す。
冷静なつもりだが、眼光も口調も無意識に鋭くなるままだった。

「そんな事は、私の仕事の結果とは何ら関係がないだろう。何が言いたいのか?」

相手は何も言い返さず、鼻で笑い去っていった。
僕の腸は、知らぬうちにふつふつと煮えくり返っていた。


少女…彼女とは、共に暮らしている。表向きは、知り合いを預かっているとして。
しかしそれは、闇に魅入られた者として監視をするためだ。帝国内で大きな騒動にさせないために、その事実は極秘として扱っている。

そんな彼女は、俯いて謝ってきた。
ごめんなさい私のせいで、あなたは絶対にそんな人じゃないのに、と。
その後も、何度も。

あなたは悪くない。本当に、何も悪くない。
僕は何度も、彼女にそう言って聞かせた。



今は亡き皇帝が復活させた邪神を、仲間と共に討伐した。
その後に僕は、祖国であるこの国の復興に力を入れることにした。
帝国は特に、邪神が放った闇の眷属によってボロボロに荒らされていたからだ。

かつては皇帝の支配欲に異を唱え逆らってきた僕は、皇帝派の人々からは爪弾きにされてきた。
しかし、元々皇帝に仕えた家柄に生まれたこと。そして邪神討伐という大仕事が、僕の帝国内の立場を盤石なものにしてくれた。政治の大舞台に立つのは本当に気が進まないが、この立場を有効に使おう。
これからは新皇帝を立てることなく、議会により話し合って復興への道を皆で決めていこう。それが今まで虐げられてきた人々への為にもなると信じ提案し、この数年間それを続けてきた。

皇帝派は、それが相当面白くないらしい。
何かというと、僕を貶める為の策を弄してきた。

暗殺ならば、どうとでも出来る。
邪神討伐の旅を経て、どうやら僕の力は相当上がっていたようだ。多少の武力ならば、苦も無くいなせる。毒に対抗する手段も、数多く心得ている。

しかしそれが効かないと知ると、彼らは政治的に手を回すようになってきた。

今までは、それも何とか対処出来るものばかりだった。
亡き皇帝派の統制が取れていなかったからか、すぐにその誤りを正していけたからだ。


ところが、今回はかなり手が込んでいる。

僕はどうも砂漠の復興にあたり、その予算を統括する部署から多額の献金を受け取っているらしい。
これが、議会が妙な流れになっている原因だ。

無論の事、僕がそのような汚い真似をする筈がない。
そんな余裕があるならば、あの優しく逞しい人々が住む砂漠の生活を穏やかなものにする為に注ぎ込んでもらいたい。

が、予算の流れを洗ってみれば確かにおかしな流れが見受けられる。
これは…巧妙に隠されながら僕への流れを見せかけているが、亡き皇帝派の幾人かの家に利益供与がある。
そのうちの一人は、先日の暴言の主だ。


なるほど、よく分かった。
僕を囮にし、よりにもよって砂漠の復興予算を着服しようとしたこと。
僕の仕事振りを貶める為に、何の罪もない彼女を巻き込んだこと。

しっかりと後悔させてやる。


そこから数日、僕は根を詰めて汚職を働く者達の正体とその証拠を集めまくった。
朝食を食べて本部へ向かい、そこから帰宅し夕食を摂る。
そんな基本的な日常の行動は彼女と共にしていたが、普段より顔を合わせる時間は格段に減っていた。

今日の午後からの議会の為に、まっすぐ資料室に向かいます。
そのまま執務室へ入って待っていてくださいと、今朝は彼女を一人促した。

心配を掛けている自覚は、ある。
ごめんなさい、無理だけはしないでくださいね。
彼女は、そう何度も僕に伝えてくれた。
笑顔の裏に、微かな悲嘆を見せながら。


そして、あともう一息。今日の議題でこの証拠を彼らに突き付ければ、全てが収まる。
あなたは決して悪くないと、これで安心させられる。


資料を机でトントンとまとめていると、通信機が鳴いた。
これは、邪神討伐の仲間の一人。彼女がかつて自分の心に住んでいたと、そう言った仲間からだ。

僕は通信機を手に取り、対応する。
正直今は、少しでも時間が惜しい。
が、その急いた心を許さない言葉が耳へ届いてきた。


『あいつから目を離してるんじゃないぞ。
 何しでかすか分からないからな。』


あいつ…彼女のことか。
目を離す? 何をしでかすか分からない?

その発言に疑問符を浮かべていると、更に仲間は追い打ちを掛けてきた。


『何のことかは、直接あいつに聞け。
 間に合うなら、な。』


そう言うなり、一方的に電話は切れた。

いつもならば絶対にしてはこない、仲間からの私用の通信。
目を離してはいけない、彼女。
彼女の笑顔に隠されていた、微かな悲嘆。


まさか。

まさか、そんな…。


僕は、嫌な予感が頭を掠めた。
今回、僕以上に彼女が傷付いていた。
傷付いても、尚…いや、僕を信じてくれているからこそ、傷付いていた。

そんな彼女がしそうなこと。
それは。

僕を、守ること。初めて出会った時のように。
あなたを疑う発言をしたことで仲間と言い争っていた僕を、何故かその小さな背で庇ってくれたように。

自らが僕の前から立ち去れば、一つ悩みは消えるだろう。
ああ、彼女の考えそうなことだ。


行かないで、どこにも。例え、旅の仲間の元へでも。
僕のそばから、離れないで。

あなたが僕の家から出る前に。
必ず、間に合わせてみせる。


僕は午後の議会に、定時に参加した。
ここは、どうしても崩しようがない。
そこでまたあの暴言の主の質疑が始まろうとした瞬間、僕は証拠の資料人数分を机に叩きつけた。

僕は今、相当腹に据えかねている。

いつもは人当たりよく接するよう心がけている僕の豹変した様子とその資料の内容に、あの一味は虚を突かれたのか無言になっている。
僕の資料に、穴はなかったようだ。普段なら重箱の隅を突いてくる彼らも、そんな余裕はなく。
逆に無関係の議会員達は、この事態を受けざわざわと騒がしくなってきている。

「ということで、今回の僕の仕事は完了いたしました。後は彼らにお任せします。」

そこには、僕が事前に手配した逮捕権を持つ官吏達が揃っている。
一味達は大声で地位を使って官吏を威嚇しているようだが、もはやそんなものは効きはしない。次々と捕縛されていく。

「例え女性が隣にあろうと、仕事を完遂することは可能なのですよ。」

議会室は、蜂の巣を突いたような大騒ぎになっている。
もはやこれ以上のまともな進行は、不可能だろう。
僕は代理の者に後の処理を一任し、議会室を飛び出した。


間に合え。間に合え。

僕は、自宅への道をひた走る。
あの時からいつも、彼女と一緒に行き交っていた道を。
楽しそうに、その日の出来事を話してくれる笑顔を。
僕の話を受け入れてくれる、その微笑みを。

僕は息も絶え絶えになり、自宅の近くに辿り着く。
玄関前には、彼女が立っていた。
近所に出かけるには大きめの荷物を横に置き、玄関へまっすぐに身体を向けて。

僕には気が付いていないのだろう。彼女の体勢が変わることはなかった。
低くなりかけた太陽の日を浴びた闇の証である長い白髪は、淡い銀となり淋しげに揺らめく。

すると彼女は背筋を正し、喉を詰まらせながらも透き通る声を発し始めた。

「さよな…」

嫌だ。
絶対に、嫌だ。
お願いだから、その言葉は。さよならは言わないで。

僕は地面を蹴り、彼女の元へ走り出す。
その一言を、止めるために。

一歩先に、僕の長くなりかけた影が彼女の背に触れる。
そして背後から僕の腕が彼女の細い腰をぎゅっと抱きしめ、その口をそっと手で塞いだ。

「それは…言わせませんよ…。」

さよならの、らが発音される前に。

よかった…間に合った…。


僕は全速力で乱れた息を整えながら、彼女が去りゆく瞬間を止められたことに酷く安堵していた。
彼女の口に置いた、僕の手。その指先と手首近くが、柔らかい頬を伝う温かいもので濡れていく。
細い手の指が、口元の僕の手の甲にそっと触れる。

焦るあまりに彼女の口を塞いだままだったことに気付いた僕は、そっとその手を離した。
僕に片手で腰を抱かれたまま振り向いた彼女の顔は、ポロポロと落ちる涙と驚きで溢れていた。

「ど…して…?」

それは、どのどうしてなのか。
僕がこの場に間に合った理由なのか。
それとも…何故僕がこの場に間に合わせたからなのか。

どちらにしても、これだけは事実だ。
僕は、あなたを最後までは信じさせることが出来なかった。
この事態を、収められることを。
僕があなたの存在を苦にすることは、絶対に有り得ないことを。
僕の実力不足が、あなたの不安を呼んでしまった。
本当に、不甲斐ない。

これまでの暮らしで、あなたは僕を信じさせてくれた。
あなたは決して、心根は闇に染まってはいないと。
今は僕が、あなたを信じさせる番だ。

あなたの相棒に、通信機で忠告を受けたこと。
先程の議会で、これまでの僕への汚職捏造騒ぎは無事に収まったこと。

僕は全力疾走の影響からか、高鳴り続ける心臓と乱れる呼吸を整えながら簡潔に話した。
いつもの笑顔を、保てるように。


「あなたを引き合いに出してまで、僕の仕事ぶりを舐めていただきましたからね。どこからも隙の無い証拠を提示する事で、そちらの懸念も払拭しておきました。」


ここまで話したところで、ようやく彼女の涙は止まった。
気付いているだろうか。僕の手に触れた彼女の手は、降ろした後もそのままだ。
その温もりが、こそばゆくて嬉しい。

が。今だその驚愕の表情は崩れることがない。
闇の証である赤の瞳は、大きく見開かれたままだ。


「よ、よかったです。…にしても、まだ話し合いの時間じゃないんですか?」

ええ、そうですね。あの議会は今や、話し合いどころではないでしょう。
何せ重要人物複数名が、汚職で逮捕されていったのですから。

あなたはもう、何も心配することはない。
そしてこれは、かの仲間の言うとおり。


本当にあなたは、目を離すと何をしでかすか分からない。


明るいやんちゃも、僕の為の無茶も。
全てひっくるめて、あなたなのだから。

僕は微笑みもう心配はいらないと彼女に伝え、その細い腰を片手で持ち上げた。
もう片方の手は、地面に置かれた彼女の荷物。

このくらい、軽いものだ。
さあ、家へ帰りましょう。

そしてそのまま自宅に入ると、リビングのソファに二人腰掛け切々と僕は説いた。

今まで辛い思いをさせて、申し訳なかったと。
僕があのような冤罪を受けて折れることは、決してないと。
もうあなたが僕の側を離れる必要は、どこにもないと。


次の日からは、またいつもの日常が始まった。
廊下で顔を合わせる彼女の弾ける笑顔から始まる、ささやかだがそれは安らかな日常が。
僕はその幸せを噛み締めて、朝日を浴びる彼女に微笑み返した。

12/4/2024, 3:55:54 AM