真岡 入雲

Open App


朝、目が覚める。
身支度を整え、台所に立つ。
目玉焼きに納豆、豆腐とワカメの味噌汁。
茶碗にご飯をよそって食卓に並べる。
仏壇にもご飯とお水を供え、ロウソクに火をつけ線香をあげる。
お鈴を鳴らして、朝の挨拶をすませ、朝食をいただく。

「今日の朝ドラは良かった...」

後片付けをしながら、今日の予定を思い出す。
特に急ぎでやらなければならない用事はなかったはず。
それならば、まずは、掃除と洗濯を。
終わったら買い物ついでに図書館に行こう。
最近の図書館は雑誌が充実しているから助かる。
それに、あそこはエアコンが効いている。

「あ、洗剤買わないと、おっと、LINE」
『おはよう、今日も暑いから、我慢しないでエアコン使いなよ』
「ふふっ、"おはよう、ハイハーイ、わかってます、お仕事頑張って"っと、送信!」

日焼け止めを塗って、帽子を被って、買い物用のキャリーを持って、さぁ、出発だ。
おっと、飲み物も持って、今度こそ出発です。
最近雨が降っていないから、川の水が少ないね。
でも、やっぱり川沿いの道は涼しい風が吹くから気持ちいい。
あ、中学校の解体終わったのね、こうやって見るとやっぱり敷地広いわね。
うーん、何だか寂しい気分になるわ。

「老朽化と少子化じゃ、仕方がないか...」

今はこうして歩いていても子供とすれ違うことはほとんど無い。
小さい子の手を引いて歩く母親の姿というのが見られない。
大抵、車で移動するからと言うのもあるけど、母親も働いているのが殆どだから。
それでも、休日のショッピングセンターで親子連れを見ると少し嬉しくなってしまうのは、何故だろうか。
あぁ、まだ子供はいるんだという、安堵感なのかもしれない。
あ、そうだ。

「ん〜と、"すっかりキレイになっちゃいました"っと」

中学の後輩でもある娘達に、桜の木だけが残されている中学校の何も無くなった敷地の画像を送る。
2人とも今は仕事中だから、返信は来ないだろう。
水筒の水を二口飲んで、中学校の敷地の向こう側にある図書館を目指す。
図書館に通い始めたのは、もう15年以上前になる。
定年で仕事を辞めた1週間後から、予定がなく天気が悪くない日は通ってる。
離れて暮らす娘達に迷惑はかけたくないから、できるだけ長く健康で暮らせるよう、毎日の食事には気をつけ、週一回の運動教室に通い、友達からの誘いは基本断らないで外出することを心がけている。

あの人とは、あの中学校で出会った。
ただのクラスメイトだったのに、いつの間にか恋人同士になっていた。
連れ添ったのは30年に満たない時間。
あの人と死に別れて、もうすぐ20年になる。
孫の顔を見ることなく、この世を旅立ってしまった人。
あの人がいないことに慣れるのに3年かかった。
娘達に一緒に暮らそうと言われたけれど、元気でいられるうちは、あの人と過したこの土地で、あの人と過したあの家で暮らしたいと思った。
あの人が隣にいるのが当たり前だった私の生活から、あの人が隣にいないのが当たり前となった私の生活。
友達が旦那さんの話をしたり、同居の息子さんやお嫁さんの話をするたび、少しチリリと心が痛む。
けれど、それがなんだと言うのか。
私は一人で気楽に、この人生を楽しんでいる。
私が私である限り、脳がバグってあの人のことを忘れない限り、私の愛する人はあの人であり、あの人との子供である娘達であり、孫達でもある。

「あと10年くらい頑張れば、遺言叶えられるかな?」

病院のベットの上、意識が朦朧とする中、あの人が言った最後の言葉。

「次に会う時は、曾孫の顔教えてくれよ」

孫すら生まれてなかったのに、曾孫の話とか無茶振りもいいとこだわ。
でも、きちんと教えてあげられるよう私頑張ってるわ。
隣にあなたがいないのが、私の当たり前になってしまったけど、あなたは今でも私の心の中に生きているもの。

「あ、朝ドラ特集の雑誌。この人がカッコイイのよね」

実はあなたには似ても似つかない俳優さんが、心の中の8割を占めているのは内緒だけどね。

7/10/2024, 2:20:11 AM