旅路の果てに
この世に「生」というものを受けた時から、旅は始まっている。
生まれた時は、目の前に、無限の選択肢が広がっている。
しかし、一度この道を進む、と決めると、どんどんと選択肢は減っていって、最後に辿り着くのは、「死」という旅の終わり。
これは、みんなそうだ。
人の旅路は、それぞれの人生。その道を、どんな選択をして、どんな路を通っていくのか。みんなの自由だろう?
親、先生、おじいちゃん、おばあちゃん。みんなは、長い長い旅路を、歩んできた先輩の旅人。その人たちから、何を話してもらうか。
「このルート、楽しいよ!でも、これは大変だったよなぁ。」
「大変な旅になるぞ。心して挑め。」
「一緒に、この路を歩まないかい?」
そんなふうに、旅の思い出話や、旅の誘いを受け取って、僕たちは旅路を決める。
「お前はこっちに進むべきだ。」「こっちにしなさい」
とか、強制されちゃダメだ。みんな、自由な旅をしていかなくちゃ。一度きりの旅だ。楽しめ。
僕ら、生きとし生けるもの全て、「生」という名の旅をしている。それぞれの旅の先で、最後にたどり着くのは「死」という旅の終わり。
しかし、その途中であった、まだ若い旅人は、その先輩旅人の思い出話を忘れることなく、自分の旅の糧にしていく。
君の旅は、自由か?誰かに、何かを与えたか?
君の旅は、どんな旅だろう。聞いてみたい。
この思い出話が、旅路の果てにたどり着いた時、俺の旅路は、充実していた、そう感じるための種である。
そう、「生」というのは、長く、そして短く、儚い。自分の、自分だけの、旅路なのだ。
1/31/2024, 12:02:59 PM