雑穀白米雑炊療養

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自分ならできる、自分にしかできないことがある。
目の前の白い服のこいつはよくそう言う。何を根拠にそう言えるのか。
目の前で喜々として自らを語る者を見る。こいつは自分の双子の兄弟のようなもので『自分』を構成するものの一部、その中の分離した片極で戻るべき状態に戻っていないものだ。それの話は感覚的に1時間近く前から続き、至極丁寧で綺羅々しい語りだ。己の顔は心情を反映しさぞかし機嫌の悪そうな表情を作りだしているだろう。無視しようにも認知に直接割り込んでくる長話は注意を背けるものの存在しないこの場では躱せず、それどころか無視すればするほど語りはエスカレートする。仕方なく話を聞きはするのだが、こいつの存在はどうにも自分の神経に障る。抑揚もくっきりと鮮明で流れるような語り口、さぞかし愉快なのだろう空気、身振り手振り。何より『光量』の多い目。
こいつの目を見ていると吐き気がする。
己と完全に正反対。まるで一切不安心配のなさそうなこの者が自身と自分を同様として扱うことに苛立つ。確かに外を見て不安ばかり並べる自分も、見れば然とある明るさを見ようとしないと言えばそうなので、懸念を一切持ちもしないこいつとある意味同様といえば同様なのかもしれないが。それでも苛立つものは苛立つ。どうにも嫌悪感が湧く。こいつと同じなのは心底嫌だ。
しかしそのような状態ではもとに戻るのは難しい。物事は両方の進行方向が合って初めてまともに進むものなのにもかかわらず、左右が別の方向へ動こうとすれば碌な事にならない。そうはならないように安牌を取った結果『自分』は動けずにいる。すでにこいつは元通りになることに然程抵抗はないらしく、こいつが自分に統合されたとて『自分』には何も問題はないの事は己もわかっているのだが、自分はおかしなプライドがある故に未だ受け入れられずにいる。もともとは同じであったにも関わらず分離してからはどうにも受け入れられない。
今も目の前のそいつの目を見て吐き気を催している。まだ暫く受け入れることはできそうにない。

4/6/2024, 1:15:53 PM