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眠りから目覚めるとジャングルジムの上にいた。
鉄の棒に腰を掛けている。
よく落ちなかったなぁとぼんやりとした頭で思う。
周囲は霧に包まれていて、つま先くらいまでの範囲しか見えない。
お陰で高さの恐怖はない。

何故か胸に白熊のぬいぐるみを抱えている。
つぶらな瞳がとても可愛い。

「どうしてこんな所でぬいぐるみといるのだろう?」と疑問に思っていると、白熊が喋り始めた。

「ようこそ、コンフォートゾーンの外側へ」

白熊は見かけによらず紳士な声をしている。
意外と好きな声かも。
おっと、声に気を取られている場合じゃなかった。
コンフォートゾーンと、その外側とは一体何だろうか。

疑問をそのまま口にすると、白熊はウンウンと頷いた。

「コンフォートゾーンとは貴方の下にあるジャングルジムのことです。普通は道なのに、貴方はこんな形をしている。変わった方だ。しかもコンフォートゾーンの中にパニックゾーンまであるだなんて不思議ですね」

「普通は道なの?」

「そうですね、一本道の方も多いです。真っ直ぐ進めば抜けられる──そういうものなのです。こんな複雑で、高さもあるような方を見たのは初めてですよ。よほどコンフォートゾーン暮らしが長いか、複雑なものをお持ちなのでしょうね」

「あの、話の腰を折るようで申し訳ないんだけど、さっきから言ってるコンフォートゾーンって何?」

「簡単に言うと安全地帯です。心が安定しやすい場所ともいいます。そのコンフォートゾーンを抜けると人は成長するのですよ。ここはその境目です。さて、次のゾーンへご案内するその前に」

そう言うと白熊がぎゅっと抱きついてきた。
フカフカとした手触りが気持ちいい。

「不安が取れるでしょう?貴方は最近大きな不安に見舞われてきた。コンフォートゾーンを抜ける為に必死になって取り組んできた。なので、これはサービスです。貴方の不安を全て取ってあげましょう。他の方には秘密ですよ?」

白熊がさらにぎゅっと抱きついてくる。顔を埋めるようにして抱きつくと、心がポカポカとしてきて体が楽になっていくのを感じた。
心なしか体も軽い。

体全体に広がっていく安息感に息をついていると、白熊が体から離れた。
フカフカとした柔らかさが無くなったはずなのに、未だに柔らかくあたたかいものに包まれている感覚がある。

「覚えておいてください。それが安心です。ここに来る過程でも、何度も人から貰ったでしょう?」

そう言うと、白熊は膝からピョンとジャンプし、ふわりと空を浮かんだ。
白熊のつぶらな黒い瞳が優しく輝いている。

「うん、覚えてる。あたたかくて涙が溢れて止まらなかった」

「その事を、忘れてはいけませんよ。御覧なさい。あの先に次の案内人がいます。見えますか?」

白熊はそう言うと、フヨフヨと浮かびながらある方角を丸い手で指さした。

白熊の指し示す方へ目を向けると、霧がサッと晴れていき、ジャングルジムから伸びる一本道が現れた。
一本道を照らす光の中に、人影がある。

「ずっと、首を長ーくして貴方を待っていたんですよ。声が枯れてしまうのではないかと心配になるくらい、貴方の事をずっと呼んでいた。大抵の案内人は気が短くて、見捨てる者も多いのに──良い人とご縁がありましたね」

「私は恵まれているんだね」

「そうですよ。だからこそ、沢山、沢山感謝をしなくてはいけません。案内人は、心も沢山すり減らしているはずです。早く行って安心させてあげてください。良いですか、いつでも感謝の心を絶対忘れてはいけませんよ」

白熊の真剣な言葉に、何度も深く首肯した。

「いってらっしゃい。次のゾーンへ。大丈夫。貴方の痛み苦しみは、もう全て取れているから。まっすぐ、おいきなさい。彼処が貴方の道です」

白熊に促され、光の中で佇む人の元へと走っていく。
走るたびに光が弾ける。

光の色は黄金、走る道は青。
胸に宿るは穏やかな桜色。

どこからか「────」と言う声が聞こえた。
優しいその声をかつて何度も何度も聞いていた。
ああ、やっと言える。

「ありがとう!!待たせてごめんなさい!」

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ジャングルジム

9/23/2024, 1:36:20 PM