sairo

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施設の一室で、少女は虚ろに窓の外を見つめていた。
まだ小学生くらいの幼さの残る少女だ。まだ親の愛を必要とするだろうに、少女の元には月に一度、思い出したように母親が見舞いにくる程度だ。
見舞いに来たとしても、親子の間に会話はない。母親は淡々と持ち込んだ衣服などの日用品を補充、あるいは交換し、職員と義務的な会話をしてすぐに去っていく。
疎まれている程ではないが、あからさまに少女と関わることを避けている。唯一の救いは、少女はもう母親すら認識できていないことだろうか。

「可哀そうにねぇ」

口では憐みながらも、職員の多くは少女の身に起きた悲劇に興味を隠しきれてはいない。
少女の心を壊したある事件。母親が訪れる度、職員たちは心配を装いながらも事件の詳細を知ろうと声をかけている。不謹慎ではあるものの、あまりにも現実離れした出来事は、好奇心を掻き立ててしまうのだろう。

少女には姉が一人いた。
姉妹仲は良かったという。年が離れているためか、両親に代わって姉が世話を焼いていたらしい。
その姉が、半年前に亡くなった。
病気や事故ではない。少女の住む村の奥、山の中腹にある淵の底で沈んでいるのが見つかった。
全身にはきつくカーテンが巻かれ、身動きひとつ取れない状態であった。ただ不可解なのは、村の者は始め、皆口を揃えて決まりを守らなかった報いだと姉を蔑み、犯人を捜そうとしなかったことだ。
少女の姉が亡くなった夜。村では月待ちという一年の豊穣を願う古くからの風習が執り行われていた。そのためその淵の周囲には、村の大人たちが集まっていたという。
その月待ちでは、少女の姉を含む子供たちは朝まで家から一歩も出ずに過ごすらしい。その決まり事を破り外に出たため、祟られたのだと村の誰しもが言っていた。
だが、その認識は最近になり変わった。誰が流したのか、少女の姉に対し邪な思いを抱く者の仕業だという噂が囁かれるようになったからだ。
噂は大地に染み込む水のように村全体に広がり、猜疑心を育て上げる。互いを疑い、事あるごとに諍いとなって、村を出て行く者も多いようだ。
少女の母親も、数週間前に村を出ていた。しかし見舞いに訪れる頻度が変わらないのは、少女に対しても疑いを持っているからなのかもしれない。

「可愛そうにねぇ」

職員たちは囁く。悲しげに、それでいて楽しげに。
そんな言葉を少女は気にせず空を見上げ、月を待っていた。





夜の暗闇に浮かぶ白の月を、少女は無心で見つめていた。
その眉が僅かに寄る。昼間と異なり、少女の目に浮かぶのは深い悲しみと寂しさだった。

「お姉ちゃん」

かさついた唇が、愛しい人を呼ぶ。答えのない虚しさに、握り締めていた手に力が籠る。
少女の中にある最後の日の記憶は所々が抜け落ち、酷く曖昧だ。
はっきりと覚えているのは、鐘が鳴るぎりぎりに姉が帰ってきたこと。いくら麓の学校に通っていて時間がかかるとはいえ、鐘が鳴ってしまえばどんなに頼み込まれても家の鍵を開けることはできない。だからこそ安堵したと共に、姉の危機感のなさに怒ったのを覚えている。それは決まり事だからというよりも、月待ちが始まることを知らせる鐘が鳴ってしまえば、少女の意識が保っていられないことが原因だった。
鐘が鳴るのを聞いて、そして気づけば朝を迎えている。鐘の音を聞いた後、寝るまでの記憶が欠落しているのだ。今までは特に気にすることはなかったが、こうして姉を失った今は、その欠落が酷く憎らしい。
あの日、姉の側にいることができたのなら、失うこともなかったのだろうか。今も髪を梳いてくれたのだろうか。
もしも姉の手を離さなければ、月に奪われることもなかったのか。

「月……」

忌々しいとばかりに少女は月を睨みつける。
少女は知っていた。姉は月に攫われたのだと。不要な体を捨て、月と共に村を去ったのだと。
月待ちの儀によって、村の者への富を与える代わりにその身を蝕まれ続けていた月。その全てを喰らいつくされる前に、誰の手も届かない場所へ姉を連れて行ってしまった憎い月。
一人残されて、少女は恨めしい気持ちで唇を噛んだ。

「寂しい」

ぽつりと、思いが溢れ落ちる。
姉を失ってから、少女はずっと寂しかった。現実から目を背け、拒否するほどに、寂しくて苦しかった。

「お姉ちゃん」

答える声はない。それでも呼ばずにはいられない。

「寂しいよ、お姉ちゃん」

少女の頬を流れ落ちる滴が、月の光を反射し煌めいた。



「相変わらず、甘えたがりなのだから」

困ったものだと、笑う声がした。

「お姉ちゃんっ!?」

はっとして、振り返る。
だが少女の目が恋しい人の姿を捉えるより早く、誰かの胸の中へと抱き込まれた。
懐かしい匂い。優しく髪を撫でる手つき。見えずともそれが誰なのか分かり、少女はその背に腕を回してしがみついた。

「お姉ちゃん。お姉ちゃんっ」
「本当に困った子だ……いや、困ったのは両親の方か。このまま人間として生きていられるよう手を回したというのに、結局は富の方が大事という訳か」

姉が何を言っているのか、少女には理解できない。理解できなくともよかった。おそらくは少女のために何かをしてくれたのだろう。だがそれよりも姉と離れないように、少女は泣きながら必死で縋りついていた。

「他者を出し抜き、富を独占しようとする思いが根底にある故、この結末は必然であった。それは其方らの親も変わらぬ。戻れはせぬがそれを理解せず、妹御を新たな月に召し上げることを諦めてはおらぬ」
「――そうか」

知らぬ男の声。反射的に少女は抱き着く腕の力をさらに強めた。

「そんなにしがみつかなくても、どこにも行きはしないよ。ただ、そうだね。これからどうするのか、選ばなくてはいけない」
「えらぶ……?」

姉の言葉を、少女はしゃくり上げながら繰り返す。
顔は上げられなかった。今姉の顔を見てしまっては、求めるものを何一つ答えられなくなってしまうような気がしていた。

「そうだよ。ここに残るか、私たちと来るか……母さんと父さんは、お前を使って富……つまりはお金を得ようと動いている。あの二人も村の皆と同じで、富以上に大切なものはないんだ。だからここに残るのならば全く別の、お前を愛してくれる場所に連れて行くことになるが……」
「お姉ちゃんと一緒がいいっ!」

最後まで待たず、少女は叫ぶように声を上げていた。
くすりと笑う声。少女の答えを予想していたのだろう。姉は穏やかさの中に哀しみを混ぜた声音で、少女に告げる。

「私たちと来るならば、それは人間としての死を意味することになる。それでもいいの?」
「いいっ!お姉ちゃんと一緒がいいの!」
「困った子だ。目を見てくれれば、上手く誘導ができたというのに」
「其方の妹だ。一筋縄ではいかぬよ。一度決めたことを曲げぬ強さは、よく似ている」

苦笑。顔を上げるよう促され、少女は嫌々と首を振る。だがこのままでは何も変わらないと理解しているのだろう。小さく息を吐き、恐る恐る顔を上げて姉と目を合わせた。
瞬間、少女の意識が微睡み始める。姉の服を握り締めていた手の力が抜け、力なく落ちていく。

「お休み……大丈夫。心配しなくとも、一緒がいいと望まれたんだ。置いていくことはしないよ」

優しい声が聞こえた。
その言葉に安堵して、少女は深く眠りについた。



翌朝。
職員が部屋へ訪れると、そこには穏やかな顔で眠りにつく少女の姿があった。
初めて見る、幸せそうな微笑み。とても良い夢を、最後に見ていたのだろう。
慌ただしく動き回る職員に囲まれながら、少女は眠り続けている。
深く、深く。
もう二度と、覚めない夢を見続けている。





いつからか語られるようになった昔話。

とある村の住人は皆強欲で、偶然捕まえた月から光を剥ぎ取り、それを金に換えて暮らしていた。
しかしある日、一人の少女が月を連れて逃げ出した。人のままでは空を飛べぬと体を捨て去り、月と共に空へと消えていった。
残された村人は大慌て。急いで追いかけるも、すでに月と少女は天高く昇り、もう二度と届くことはない。
怒った村人は、今度は少女の妹を使って金を得ようとした。少女と妹は村の中で一等美しく、元より月の全てを金に換えたら姉妹を使おうと企んでいた。
それに困った姉は、月と共に妹を守るため策を講じることにした。
数日後、村の様相は一変する。
あちらこちらで喧騒が起き、色々なものが飛び交い壊れていく。村人たちは互いを疑い、罵り合い、そうして村は壊れていった。
不和の種は、一つの噂。
妹を連れて金を独り占めしようとする者がいるらしい。そんなちっぽけな種は、だが金より大切なものを知らなかった村人にとって何よりも脅威だった。
種は芽となり葉を広げ、蕾をつけて花を咲かせた。黒々とした欲にまみれた花は村に毒を撒き、全て狩りつくしてしまった。

こうして誰もいなくなった村で、妹は姉と月と共にいつまでも幸せに暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。



20260308 『お金より大事なもの』

3/9/2026, 2:39:52 PM