だから、一人でいたい。
森の奥深くに苔だらけの古い大きな館がポツンと建っていた。
そこに一人の少女が住んでいる。腰まで伸びた長い白銀の髪は美しく、宝石のようにキラキラとした紅い瞳は、ただ天井を見つめていた。
「……あと何年かしら」
ベッドの上に横になりながらそう呟く。
静かな部屋。聞こえてくるの音は、外にいる鳥たちの声のみ。
起き上がり、ベッドから降りると窓へ向かった。
窓を開けて風を入れる。そよそよと気持ちのいい風が入ってきた。
少女は目を瞑り、外の音を聞く。
「おはよー」
森の中からやってきた少年。右手には茶色の紙袋を持っていた。
少女は目を開いて、少年を見つけると嫌そうな表情をする。
「……また今日も来た、しつこい……」
「ねぇー、美味しいりんご買ってきたんだ、一緒に食べよう」
「食べない、帰って」
そう言うとパタリと窓を閉めた少女。そして、窓から離れて、ベッドへ。
「えぇー、せっかく買ってきたのに、食べようー、ねぇーねぇー」
窓の外から聞こえてくる少年の馬鹿でかい声。
ずっと、「ねぇーねぇー」と言い続けていた。
少女は枕を頭から被って聞こえないフリ。しかし、まだ聞こえてくる。
「ベアトリスさーん、たーべーよー」
カッと目を見開いて、ベッドから飛び降り、窓へ向かって走る。
そして、バンっと音を立てて、窓を開く少女。
「うるさいっ、名前を呼ばないで」
「あ、出てきた。ベアトリスさん、たべよー」
少女――ベアトリスの顔が再び見れると嬉しそうな表情をする少年。
紙袋からりんごを取り出すと、ベアトリスのいる2階の窓へ放り投げた。
ヒョイっとりんごを避けるベアトリス。
「えっ、ひどっ、受け取ってよ」
「いらないって言ったはずよ」
「えぇー、美味しいのに」
紙袋からもう一つりんごを取り出すと、食べ始めた少年。
しゃりしゃりと音を立てて、美味しそうに食べる。
すると、森の中からうさぎやリス、鹿にキツネたちが寄ってきた。
少年の周りに集まると物欲しそうにりんごを見つめる。
「わぁーい、モテモテだぁー、見て見て、ベアトリスさーん」
太陽のような眩しい笑顔で、ベアトリスに手を振る。
ベアトリスはその光景が羨ましかった。ギリっと奥歯を噛み、舌打ちをする。
「……私にはできないこと」
ボソっと呟き、さっき避けたりんごを拾った。
蜜の甘い匂いが香る、真っ赤なりんご。次の瞬間、見る見るうちに萎れていく。
最終的に水分が無くなり、干からびた形に。
寂しそうに笑うと干からびたりんごを握りしめた。
「ベアトリスさーん、外に出てきてお散歩しようよー」
窓からまた顔を出したベアトリスは、首を横に振った。
「何度も言うけど、外には出ない、絶対に」
「んじゃぁ、俺がそっちに行く」
「来ないで」
「えぇー、いつもそう言うー。俺は、ベアトリスさんと近くで話したいのにー」
頬を片方膨らませ、不服そうにそう言う少年。
ベアトリスは、拳を作ると窓の枠を強く殴った。
「本気でそれを言っている?」
「えっ、言っているよ?なんで?」
「あなた、私のこと知らないの?」
「知っているよ、ベアトリスさんでしょ?」
にこっと笑う少年に干からびたりんごを投げつけた。
飛んできたモノに驚いて逃げていく動物たちに対し、少年は動じなかった。
ヒョイっと干からびたりんごを拾うとじーっと見つめる。
「あれ、りんご、嫌いだった?」
「……あなた、頭おかしいの?」
「よーし、明日も違うモノを持ってくるよ」
ベアトリスの言葉は無視して、森の中へ戻ろうとした少年だが――
「ベアトリスさん、ちなみに俺、あなたって名前じゃないから。ロットって名前だから、名前忘れないでね」
そう言って、森の中へ帰って行った。
静かになったその場。ベアトリスは深いため息を吐くと窓を閉めた。
そして、ずるずると床に座り込む。
「……なんなのアイツ」
――――
ベアトリスの館に毎日に通うロット。
日々、違うモノを持ってくる。食べ物、お花、本、そして――
「……なにこれ」
窓の外から飛んできたモノは茶色の小さな箱。
中を開けると音楽が流れ出す。綺麗な音が部屋に広がる。
冷えていた心が少し、温かくなったような気がしたベアトリス。
「あっ、気に入ってくれた、オルゴール?」
外から聞こえるロットの声に、ハッとした表情をして、蓋を閉めた。
「……別に」
「気に入ったんだ、よかったぁー‼︎んじゃぁ、館の中に入れてください」
「それはない」
スッパリそう言い切る。肩を落としたロットはトボトボと森の中へ帰って行った。
その姿を見て、表情が緩んだベアトリス。今まで、緩むことがなかった。
毎日、ロットが来るのが楽しみになっていった。雨の日も風の日も、雪の日も絶対にやってきて、何かをプレゼントしてくれる。
そして、森の向こうにある街の話もしてくれた。窓越しで、その話にいつの間にか耳を傾けるようになったベアトリス。
ベアトリスの白黒だった世界が、色づき始めたと思った矢先――
「……来ない」
ある日、ロットが来なかった。何時間待っても、何日待っても。
雨が降っても、風が吹いても、来なかった。
ベアトリスは茶色の小さな箱を開けて、オルゴールを流す。
音が心の不安を癒してくれると思ったが、癒えなかった。
すると、森から騒がしい音が聞こえてくる。ベアトリスは窓から顔を出すと、そこには大勢の人間が手に武器を持って立っていた。
そして、一人ボロボロになった少年が前へ突き飛ばされ、地面へ倒れる。
「……ロット⁈」
窓から身を乗り出すベアトリス。ここからでは、ロットが生きているかどうか確認できない。しかし、外に出られないベアトリス。窓枠をぎゅっと握りしめる。
「生命を吸う怪物、そこから出てこい。お前の討伐命令が出たんだ。……出てこないなら、コイツがどうなってもいいのか?」
大柄の男がロッドの頭を踏む。微かにぴくりと動いたロット。
だが、起き上がる気配がない。
ベアトリスは桜色の唇を噛み締める。怒りを露わにした。
そして、2階から飛び降る。久しぶりに外に出た、ベアトリス。
「討伐って、私のことわかっているの?」
ベアトリスの周りの地面に生えていた草が見る見る萎れ、枯れていく。
「勝てると思っているの、この怪物に?」
一歩、また一歩進むと生命を吸い取っていく。
周りの空気が冷えていった。
一人の青年が、ベアトリスに発砲した。胸に弾を受け、血が出たベアトリスだが、倒れることなく歩き続ける。撃たれた場所はもう傷が癒えていた。
「そう簡単に死なないわよ?死ぬことなんてない、命を吸い続ける限り」
ごくりと何人か唾を飲み込んだ。ベアトリスの紅い瞳に睨まれ、人間たちは足が震え出した。
「誰に頼まれたか知らないけど、やめておいた方がいいわ。去りなさい、人間なんかに勝ち目ないわ」
風が強く吹くと同時に大勢の人間たちは、逃げるように去って行った。
ぽつりと横たわったままのロット。普通ならすぐに駆け寄り、抱きしめたいが、これ以上は近づくことができないベアトリス。
近づけば、ロットの生命を完全に吸い取ってしまうから。
何もできず、その場に突っ立ったままのベアトリス。
「……ごめん、ね。しば、らく、一人に、して」
途切れ途切れの言葉。ベアトリスは静かに聞く。
「……わるい、やつら、に、つかまってさ、このザマ、だよ」
へへっと笑うロット。命の灯火が少しずつ小さくなっていく。
「おねがい、が、あるんだ、ベアトリスさん」
ベアトリスは耳を塞ぎたかった。その言葉を聞きたくないから。
「俺の、いのち、あげる。そしたら、いつまでも、いっしょ、にいられる」
最後の力を振り絞り、ベアトリスに手を伸ばすロット。
その顔は太陽のように眩しい笑顔だった。
ベアトリスは駆け出し、その手をしっかりと握った。
「ありがとう」
幸せそうな顔。すぅーっと綺麗な光がベアトリスに吸収されていく。
ベアトリスはボロボロと大粒の涙をこぼした。
「ばかっ、また寿命、増えたじゃない……」
枯れた手を握りしめて、自分の額にあてる。
「だから、一人でいたかったのに……一人がよかったのに。あなたのせいで……また生きないといけなくなったじゃない」
森中にその声が響き渡る。動物たちが、その様子を遠くから見つめていた。
2階のベアトリスの部屋からオルゴールの音が聞こえてきた――
7/31/2023, 2:13:39 PM