薄墨

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甘だるい香りが鼻腔をくすぐる。
手元のガラス瓶の中に溜められた、この溶解液の匂いだ。

スポイトで、そっと一雫吸い上げて、落とす。
落とした先に転がっているものが、じゅわじゅわと泡を立てながら、溶けて腐り、ゆっくりゆっくり液体になり、気化していく。

肉の溶ける甘だるい匂いがぶわっと広がる。

ぐらり、と四方の壁が揺らぐように動く。
真っ白な壁。
真っ白な天井。
真っ白な床。
扉すらないこの部屋は生きている。

私はそっとガラス瓶にスポイトを入れ、またそっと、溶解液を一滴、吸い上げる。
そして、足元に置いている死体に、そっと垂らす。

じゅわじゅわと泡が上がる。
骨と、肉が混じり合って、じゅわじゅわ溶けてゆく。

この部屋は生きている。
この部屋自体が、大きく、悍ましい化け物なのだ。

しかし、この化け物は何もしない。
何もできない。
ただ、何もない、小さな一部屋の真っ白な部屋として、この生き物はそっと、ひっそり生きているのだ。

そして、私はそれが生きる手伝いをしている。

この部屋は、私がいるこの部屋の生き物は、捕食機能と消化器官を持てなかった個体なのだ。
だからこの部屋には、扉も窓も存在しない。
…本当なら、人を捕食するために、この化け物には扉が存在するはずなのだ。

私がこの個体に出会ったのはいつのことだったか、覚えていない。
この部屋の化け物の中に入ったが最後、生きとし生けるものはみんな記憶が曖昧になってしまうのだ。

しかし、私はずっと何故だか、この化け物に同情的だった。
放っておけないのだ。何故か。
私は、この部屋が、ただひっそりと、そっと生きているこの化け物が何故だか、とても好きだった。

だから、化け物の希望にしたがって、化け物のために人の死体を運び込んで、溶解液で溶かしてやっている。

部屋が、ぐらり、ぐらりと揺れる。
喜んでいるのだ。
それで私は、この化け物が愛おしくなる。

喋れず、扉などを仕掛けて能動的に生きていくこともできず、ただ、私を待つこの化け物が、私はたまらなく愛おしくて、どうしても好きなのだった。

だから、私は今日も、ありったけの愛おしさを込めて、そっと溶解液を垂らす。
真っ白な部屋の、真っ白な化け物に。
そっと、ひっそり、自分の意思すら伝えられない、哀れな生き方をしているこの生き物に。

私はそっと食べ物を運び込み、そっと溶解液を垂らす。
そっと、そっと。
この生き物を壊さないように。
この生き物を生かすために。

私は今日も、溶解液と愛を垂らす。
そっと生きている部屋に。
そうっと。

1/14/2025, 10:49:21 PM