hot eyes

Open App

優しい人は怒ると怖いとよく聞く。ストッパーが一気に外れるからだと。よくわからない所でバチン、てくるんだ。
優しいから大丈夫、許してくれるって思っちゃうんだよ。

コイツだって、そうだと思ってた。

右手に破れたクッションを握って、こっちを睨み付けている。さっき取っ組み合った時に破れた。
足元には羽が散らばっている。
「...俺、出てくから」
「おいおい待てよ...馬鹿も休み休みしろよな」
「こっちは本気だ......冗談じゃねぇよ!!」
目尻の上がった鋭い硝子から、光がぽろぽろ落ちている。
「い...いやいやいや、そんなこと言ったってお前行くとこねぇだろ?」
「...半同棲」
「は?」
「実(みのる)が言ったんだろ...半同棲がいいって......」
そうだ。俺は家にコイツがいると女の子を連れてこられないから、半同棲にしようって持ちかけたんだ。だからコイツには...帰る家がある。
「......俺は自分の家に帰るだけだから。もう二度と連絡してくんな」
「おい...お前俺がいなきゃ何も出来ねぇだろ?なぁ?!ちょっと待てよ!おい!」
「じゃあな、実」

何か言いたそうにこちらを向く。そして、

「......俺のこと...一回でも良いから、名前で呼んでほしかった」

そう言ってそのまま出ていった。

...そうだ、アイツの名前...
俺は最初からアイツを「お前」呼びしていた、そのせいでどんな名前だったか忘れてしまった。
メールの名前も「セフレ男」だった。
だから思い出せない。

俺は追いかける気にもなれなくて、腹を満たすために冷蔵庫を開ける。
そこには、ケーキやらチキンやら豪華な食事が入っていた。

昨日は俺とアイツの付き合って一年記念日だったらしい。お祝いしたいだとか早めに帰ってきてほしいだとか言っていた。
それを俺は適応に流した。いつも通り遊んで、そこら辺の女の子の家に泊まった。
帰ったのは今日の夜。アイツはテレビも電気も点けずにソファに座っていた。

そして

「別れよう」

そう言った。

アイツは俺がどれだけ我が儘を言っても、女の子と遊んでも、朝帰りならぬ夜帰りをしても怒らない。その上、料理、洗濯、掃除、全部してくれた。勿論、夜の方も。
いい家政夫だと思ったのに。

あんなちっぽけな事でキレるなんて馬鹿みたいだ。

でもあれだけ俺の事を好きだったんだ。きっとすぐに戻ってくる、そう思ってた。


アイツは一日、一週間、一ヶ月経っても戻ってこなかった。
俺はアイツの住所を知らない。だから連れ戻せない。
「チッ...」

俺は何が駄目だったんだ?何で怒らせた?早く帰ってこなかった事か?女の子と遊んでたからか?名前を忘れてたからか?

わからない。

もうアイツがいないから、俺は何も出来ない。



あの日、取っ組み合いになって千切れたクッションから飛び出してきた羽が、まるで雪のようだった。

...そうだ。

「アイツの名前......雪(ゆき)だ...」

本当に何も出来なかったのは、俺の方だった。

題名 「優しさ」
出演 実 雪

1/27/2024, 5:11:13 PM